ショーコの声には抑揚が無くて、おそらく言いたくないことを無理矢理言葉に押し出しているせいだろう。感情を削ぎ落とした必要事項だけ。キングにはそんな声音に聞こえる。


「学校帰り、いきなり車に連れ込まれて薬かがされて。気が付いたら見たこともない部屋で」

フロアに座り込んだショーコは胸に抱いたジンを撫でている。


「逃げ出せたのは３日めだった」

それで終わりなわけはないが沈黙が続く。うつむいたショーコにキングが問いかける。


「何された」

露骨な、逃げ場のない質問に少し考えたショーコの答えはやっぱり平板な声。


「座り込んだ状態で両方の手首をガムテープでくくられた。それから……髪を切られた」

予想外の説明にキングの瞳が大きくなる。ショーコの手の下でジンがみゃあと鳴く。素足の指が丸まったり伸びたり、落ち着かない気持ちが見える。


「あたしの真横であたしをみつめて。手に持ったハサミをシャキシャキ鳴らして。気まぐれに髪を手にとって先を少しだけ切り落としてニヤッと笑うの。その繰り返し」

ショーコが顔をあげた。暗い眼に彼女が感じただろう、いろいろなものが蠢うごめ　いている。


「ずっとか」
「トイレは行かせてくれたけど。あとはずっと」
「髪を切っただけか」
「だけ？」

ショーコの眼が燃え上がった。声も怒りに染まる。


「警察に散々聞かれた。それだけかって。レイプとか悪戯とかされなかったのかって。されなかったって言うと皆同じ顔するの。なんだみたいな。冗談じゃない。レイプや悪戯でなきゃいいわけ？　やられてみれば？　縛られて自分より大きい男の人に真横でハサミもってシャキシャキされたらそれがどんな、どれだけ、……っ」

押し寄せる感情に喉を詰まらせたのか。ショーコがぐっと噛みしめる唇は切れんばかりだ。みつめていたキングがポツリと言葉を継ぐ。


「…警察ってことは。犯人、つかまったのか」

荒れ狂う感情を必死で押さえているのだろう。上下する肩がなだらかになってから答えが返る。


「時間なんて判らなかったけど。初めてそいつが外出した時。手のガムテープは少しずつ緩めて千切ってたから。なんとか逃げ出した。笑っちゃうよ。そこ、うちのすぐ近くだった」

皮肉な笑みがショーコの顔を醜く歪める。


「家に逃げ帰ったら母が、３日目にしてようやく警察に連絡したところで。速攻でそいつ、逮捕になった。…でも」

ショーコは又うなだれる。ジンは飽きたのかその膝を降りてソファに戻っている。


「本当にきつかったのはそのあとだった」

平板さを脱ぎ捨てた声は疲れ果てていた。



逮捕された男はあっさり自供した。ショーコを拉致監禁した事実。ハサミで髪を切った事実。だが、理由がなかった。全くと言っていいほどなかった。

ビデオ屋の店員で３２歳。ショーコのことは近所で見かけていたらしい。だが接点はない。彼の勤めるビデオ屋にショーコは行ったことがないし、偶然言葉を交わしたこともない。強いて彼に言わせれば。

『好きなアニメのヒロインに似ていた』
『美容師になりたかった』
『女の子を間近で見たかった』

そんな断片的でわけのわからないものばかり。だからといって精神異常でもなかった。なのに。

『あの娘の髪を切りたかった』


後に起訴され実刑となった男は謝罪することもなく。ショーコに残されたのはやり場のない怒りだけ。おまけに。

被害者だというのに学校でも近所でもまるでショーコにも落ち度があったかのように陰口をたたかれた。今時の女子高生だから、格好が派手だから、母子家庭だから、母親が水商売だから。理不尽という言葉の意味を嫌と言うほど思い知らされた。



「ふた月引きこもった。だからって永久にそうしていられないし。就職するにも家を出るにも卒業しなきゃ不利なのはわかってたから無理矢理登校した。出席日数は学校側も情状酌量してくれて、成績は悪くなかったからなんとか卒業はできたけど」

痛めつけられた心の反動は身体にまともに出た。


「…事件のすぐあとから、化粧のアレルギーが出て。美容院には行けなくなった。家を飛び出してからは仕事が先決だったからあまり考えないようにしてた」

いわゆる体育座りでショーコが天井を見上げる。ぱさりと髪が背中へ落ちる。


「働いたし恋もした。男の人としゃべれないわけじゃない。でも。悪夢は必ずハサミの音で始まる。手が見える。男の人がハサミを持ったら、平静じゃいられない」

ぐらりと首を回すようにして、天井にむけた眼をキングへと流す。


「やっぱりあたしは負けっ放しの負け犬なのかな」


不意に、なにもかも重すぎて耐えられなくなった。
ごろりと転がった床は頬が当たるとひんやりした感触。眼を閉じる。


消えてしまいたい。


出来もしないとわかっていて、ショーコは心底そう願った。