「入れ」


ノックされたオフィスのドア。
現れた男がキングには意外だった。

「忙しいかな」
「構わない」

キングの返答はどっちでもいいのかもしれない。目をそこらへ投げながら、ぶらぶらと入ってきたトオルは、いつもの直線的・直接的な態度とはかなり違う。

「どうした」

キングの問いに口元の笑みは浮かびかけて、消える。

「今夜はヒマで」
「時間つぶしに俺のところか？　珍しい」


知らん顔で部屋の隅にあるミニバーへ歩み寄ったトオルは、ブランデーを抜き取ってショットグラスに注ぐ。それを手にしてカウンターへ寄りかかる。

「噂がとんでる」
「どんな」
「Man　Hall　のオーナーが女を拾ったとか」


パソコンの画面から眼を離さないキングだが、挑発的な口調のトオルがらしくないと思った。


Man　Hall　で、これまでの誰より長くトップを維持し続けているトオルだが、決してこの仕事が好きなわけではないとキングは見抜いていた。それでもトップを守れるのは、仕事と私情をきっちり分ける男だから。

同じ理由でホスト同士での口論は辞さなくとも、キングには苦情も愚痴も世間話すら稀だった彼だが、キングの対応は淡々としている。

「それで」
「…否定しないわけ」
「拾ったのは事実だな。性別も確かに女だが…ニュアンスとしちゃどうだか」
「あなたは」

遮るように声を大きくしたトオルが、すぐ黙る。沈黙を埋めるのはキングがキーボードを叩く音だけだ。


「あなたは女なんかに興味はないと思ってた」

キングが喉の奥で笑う。

「ゲイ、とか？」
「そういう意味じゃなくて」
「そういう意味じゃないが。女を嫌ってるのはおまえだろう、トオル？」

息を呑む気配にキングがゆっくり顔を上げた。撃たれた獲物のように立ちすくむトオルへ向けられるサングラスの黒。トオルの姿が映っている。


「俺は女を嫌ったことはない。確かにこのところ興味のある女は居なかったが」

はぁとトオルが忍びやかに息を吐く。女云々についてキングがそれ以上追求しないのがわかったのだろう。


「居なかった。今はいるわけ」
「興味にもいろいろあるさ」

キングは先夜を思い出す。


金と黒。彼のオッドアイを初めて見た人間の反応はおおかた決まっている。恐れか好奇心。でなければ媚び。純粋に興味と賞賛だけを向けてきたのはショーコが初めてかも知れない。

キングの言葉に含まれる正負の意味を彼女は間違いなく捉えていた。それはとりもなおさず、彼女がそれらを経験してきたから。いずれ彼女のトラウマを引きずりださねばならないことを思って、キングは眉をひそめた。

前に進むためであっても傷をさらけ出したい者などいない。できることなら覆い隠して封じたいものだろう。それでも。ヒデミの勝敗が彼女に、その傷にかかっている。


「キング？」

トオルの声に引き戻される。

「で？　おまえはいつまでここで働くつもりだ？」

トオルがポカンと口を開いた。続けざまに図星をさされて仰天したらしい。人の悪い笑みでキングが見る。兆しを読み取るのは彼の才能とも言えた。

「違ったか？」
「…いえ。参った」
「いつまで、だ。あの二人みたいな突然は避けたい」


トオルがパッと眉を寄せる。レンとそれからユウの記憶はいつになっても面白くないらしい。慎重な答えと共にすぐ表情は平静に戻される。

「年内、あたり」
「そうか。とりあえずバースデーは派手にやれ」
「了解」

やっと笑ったトオルは会釈で部屋を去っていった。



「次は誰が台頭するやら」

呟きながらも、彼の脳裏に浮かんでいるのはすでに、Man　Hall　のことではなかった。