午前一時。いつもよりずっと早い帰宅だ。
ドアを開けたキングは、リビングから漏れている灯りに気づいた。消し忘れか。珍しくショーコがキッチンを使ったのかもしれない。


彼女を招き入れて数日経つがキッチンを使った形跡はない。ショーコの部屋にはバストイレがついているので、飲食の必要がなければキッチンにも用はないだろうが、しかし徹底している。あの年頃はもっと詮索好き、好奇心一杯かと思ったのに。これも矛盾。

食べることにあまり重きをおいていないのだろう。確かに細く華奢な体つきだった。路上で気を失った彼女をLemonまで抱えて運ぶ時、軽くて驚かされたのを思い出す。ついでに翌日、キングが饗した素麺をきれいにたいらげたことも。食べないわけでもないがと考えながらリビングのドアを開ける。


一歩入ったところで足が止まった。居候は灯りを消すどころかベッドに戻るのも忘れてしまったらしい。ソファの上、寄り添って眠るひとりと一匹。キングの口元は知らずほころんでいた。不確かだが柔らかくてあたたかな感情が胸を満たす。

一人の身軽さを守って十数年になる。待たせたことも待ったこともあるけれど、本質的にキングはいつも一人だ。ジンを除けば帰り着いたテリトリーに自分以外の誰かを見ることはなかった。だからだろうか。こんなにもみつめてしまうのは。ピッと耳を立てたジンがこっちを向いた。闇に光る金の瞳。みゃあと小さく鳴く声はいつもより頼りなげだ。

「しっ」

キングの囁きで瞳は素直に閉じられた。寄り添う温もりが心地いいのだろう。ショーコは身じろぎひとつせず熟睡だ。ちょっとやそっとでは起きそうにない。毎晩引っ張り回していたから疲れもあるか。ソファの向こう隅にあるチェストから大きなバスタオルを取り出したキングは、居候達にふわりとかけてやった。空調は緩めの設定だが眠っていると冷えやすい。部屋へ運んでやってもいいが後にしよう。

ソファをもう一度眺めたあと、リビングからつながる自室へキングは向かった。シャワーを浴びたい。あやふやなものを流し去ってしまうために。



温かな肌ざわりが身体を包む。ふわりと感じた風がショーコを目覚めへと導いた。とはいえ頭の芯はまだ起きようか眠ろうか決断に迷う。遠くでくぐもって聞こえる水の音。続いてドアの開閉。スタスタとフローリングを横切っていく誰か。足音が近づいて遠ざかる。

ゆっくりショーコは眼を開けた。明るさが眼に慣れない。開けて閉められる冷蔵庫の音を耳は捉えている。プシュッと折れるのはプルトップ？　大きな背中がふりかえったところで、ショーコは身を起こし凝視した。

「きん、いろ？」

右眼が、暗がりで光るジンとそっくりの金色だった。対は黒。物語の魔法使いみたいだと思う。短い口ひげに見覚えがある。

「キング？　うそ」

ショーコのつぶやきに彼は金と黒の眼を細めた。

「起きるとは思わなかったな」

いつのまにか彼の足元へすり寄っていたジンを、キングはゆっくり抱き上げた。


シャワーを浴びたばかりらしい。膝丈のハーフパンツと首からかけたタオルだけ。上半身裸だ。決まり悪さを感じていいはずだが、ショーコの意識はキングの瞳に囚われている。逃げるどころかフラフラと立ち上がり近づくほどに。


「本物？　カラコンとか」

率直な問いにキングの答えもストレート。

「片方だけか？　何のために」
「お洒落、なわけないね。本物なんだ。ふわぁ……凄く」
「すごく？」
「綺麗」

ためらいなくのぞきこんでくるショーコに、キングが顎を引く。


「いいなぁ。宝石が自分の一部なんて」

突拍子もない台詞にキングがくっくと肩を揺らした。抱かれたジンが驚いてきょときょと首を動かす。


「宝石が欲しいとか」
「ううん。素敵なものを持ってるのが羨ましいだけ」

フッと、ショーコの目線が足元に落ちる。あれだけ手入れしたわりには、ペディキュアを塗り忘れた素足。はげた爪は何も塗らないよりもみじめったらしいと思う。


「自信になるでしょ」
「元々備わってるものが自信になるとは限らない」

きっぱりした口調にキングを見上げた。黒いサングラスがあるべき場所は黒と金の瞳。とてつもなく不思議な気持ちが湧く。


「どうやって持ったか、それをどう使うか。自信はそうやって培うものだ」
「つ、ちかう？」
「育てる。自信は自分で築くしかないのさ。少なくとも俺はそうしてきた」

ショーコの眼が丸くなった。彼女にすればキングには生まれながらの自信家に見える。金の瞳はその証しだと。キングはショーコの思いを見透かしたようだ。


「これはただの眼だ。綺麗だが目立つ。いいことばかりじゃない」

出逢ってこの方見たことのない歪んだ笑みのキングに、少し脅えながらショーコは頷く。言われた意味はショーコも知っている。


「わかるなら、逆手に取れ」
「逆手？」
「短所は長所だ。ピンチはチャンスになる。覚悟を決めて闘うならだが。…できるか？」

ゴクリとショーコは生唾を呑み込んだ。いつのまにか自分のことを問われている。できると言いたくてもわからない。今言えるのはせいぜい。

「やって、みる」

ふっと彼の眼が和んだ。金粉が弾けたような錯覚。


「期待してる」

金と黒の瞳が間近に迫ってきて圧倒された。額に触れる唇とヒゲの感触はくすぐったくて温かくて。まばたきする間にジンを抱えた彼はスタスタと去っていく。


「ど…うして」

ひとりごとに近い呟きにキングが振り返った。いつもの、いつもより百倍魅力的な笑みで。


「俺のオッド・アイを誉めてくれた礼だ」


キングが自室の扉を閉めるまでショーコは動けなかった。やがてその場にへたりこむ。

「うそぉ……」


やばい。まずい。いくら経験値の少ないショーコでもわかる。太刀打ちできない男相手の恋なんて。　違う。これはきっと憧れで。

懸命に否定する自分をあざ笑いたくなった。恋と憧れの境界線、その際までいつのまに追いつめられたのか。

「……どうすんのよ」


リビングの床に突っ伏したショーコは小さく呻いて眼を閉じた。
まぶたに浮かぶ金の瞳に、全身跳ねまわる鼓動を感じながら。