「キングは笑い上戸か、ですって？」

ヒデミのこういう顔を見るのは何度目だろう。まだ出逢って３日と経ってないのに、呆れられてばかりの気がする。ヒデミの店で大きな鏡の前に座らされたショーコは作り笑いを浮かべてみた。



仕事が終わる８時。迎えに来たキングに対して、宝円はやっぱり胡散臭げな眼を向けた。大まかな説明はしたものの、キングの部屋に住むことやカットモデルをやることについては強く反対された。

「あいつの裏稼業を知っとるのか？」
「裏と表があるんだ」
「表はわしも詳しゅう知らん。事業をいくつもやっとるとか、金を貸しとるとか、噂は山ほどじゃ」
「裏って？」
「こっちの噂も掃いて捨てるほどじゃが、確かなのはホストクラブのオーナーをやってることじゃな」
「ホストクラブ」
なるほどと思った。どちらかというと彼には表よりも裏の雰囲気が強い。

「そんな男のところへあんたみたいな若い娘が」
「マスターの心配は、キングがあたしに手を出すかもってこと？」
こういう言い方が宝円の眼を白黒させてしまうのはわかっているが、遠回しだと話が長くなる。案の定、宝円の苦虫を噛み潰したような顔。

「ショーコ、もう少し言い回しをだな」
「大丈夫。対象外。あたしに手を出すほど、見た目もお金も飢えてないよあの人」
「そんなのわかったもんじゃなかろうが」
「キングはあたしのこと軽蔑してるんだもん。負けっ放しの人生だって」

口にしたことでショーコは気づいた。
その事実を自分がひどく気にしていること。

「キングから見ればそうかもしれないけど。今までそうだったのは認めるけど。これからもそうだって思われるのはイヤだから。やってやるんだ」
ショーコの勢いに宝円は、納得しないまでも黙ったのだが。



口だけなら何とでも言える。
自信なんてない。同じことを繰り返しそうで怖い。

ギュッと唇を噛んで前を見る。ヒデミの店の大きな鏡に映る自分は、すっぴんと淡い伸ばしっぱなしの髪で平凡この上ない。ブラシをもったヒデミは確かめるようにショーコの髪を梳いている。ブラシなら大丈夫。なんとか我慢できる。でも。彼女がハサミを持ったら？

「ねえねえ、当日染めてもいい？」
ヒデミに聞かれて瞬間とまどった。
「…染めるの？　何色に？」
「何色がいいかしらね」
思案げにショーコと髪を見比べためつすがめつしている、ヒデミ。

「迷っちゃうわね。あんたみたいに真っ白な素材って珍しくて」
「真っ白？　あたしバージンじゃないよ？」
のけぞったヒデミの顔はさっきの宝円とよく似ている。
「ったくもう、違う。全然手が入ってないって意味よ。昔から化粧しなかったの？」
「ううん。高校入ってからは結構してたの。でも」
「でも？」
鏡の中からみつめるヒデミと絡む視線。

「アレルギーが出るようになったから」
「ふぅん。突然？」
「…うん」
嘘ではない。突然だった。きっかけはあったけれど。
「男やハサミが苦手なのは？」
つい、眼を伏せる。
「それも急に」
「そう」
口を尖らせてヒデミはブラシをかけ始める。

「髪質にあったシャンプーとリンスあげる。朝と寝る前のブラッシングも欠かさないこと」
「…はぁい」
「マッサージも教えるから」
「うん」
「お肌もよ」
「……面倒くさそう」
「あんたねぇ。女なんだから。女であることに手ぇぬかないの」
偉い剣幕に身を縮めるショーコ。

「それでよく恋ができたわね」
「恋、じゃなかったのかな」
「はあ？」
ブラシを止めたヒデミが鏡越しにみつめてくるが、ショーコはもっと遠くを見ている。


「ヒロに言われた。男が怖いくせにすり寄って、でもマグロって」
「マグロ？　それってまさか」
ヒデミが眉をひそめる。
「セックスじゃん」
「…そいつやっぱりろくでなしだわ。言っていいことと悪いことが……でも、そうなの？」
ぶしつけな問いだがヒデミらしくて腹も立たない。

「うん。そっちも苦手」
「好きな男相手でも？」
信じられないと言いたげな声だ。
「あたし、一人が嫌で寂しくて、ヒロを利用しただけなのかな」
ショーコは独り言みたいにしゃべり続ける。
「それがヒロを怒らせたのかな」


ショーコ自身思い当たることがあった。これまでつきあった男とはいつも、似たような顛末で終わっている。誘われて好きになって身体を重ねて、でも向こうが終わらせる。ほんとの相手に出逢ってないのだと自分を慰める一方で、自分のせいかもしれないと思うこともあった。

『男が、怖いだろ』
見透かされてるなんて思わなかった。
今までの人にもばれてたんだろうか。


パンと、頭をはたかれて我に返った。鏡の中のヒデミはやっぱり、見慣れたあきれ顔だ。
「あんた、キングが言ったの覚えてる？」
「え」
「恋愛はフィフティだって」
確かに彼は言った。

「あんたの負けってあたしは言ったけど。逆を言えばろくでなしも負けなのよ。本気を引き出せなかったんだから」
「本気？」
「怖れや怯えの向こうにいる、素のあんたをってこと」
ヒデミの言葉にショーコは驚く。

「終わったことをいつまでもウダウダ考えるのはやめなさい。あんたとろくでなし、どっちにも悪いところはあった。それが責任のフィフティってこと。なら結果もフィフティであるべきなのに、今はあんたが負いすぎてる。恥かかされて追い出されて傷つけられて。だから、見返さなきゃ」

「…うん」
「ついでにキングも見返せば？　一石二鳥でしょ」
「うんっ」
「やっと元気でたわね」
大きく頷いたショーコにヒデミが笑った。優しい人だ。だからだろうか。彼女にー彼だけどー触れられることがあまり嫌ではない。

「そうそう、さっきあんた聞いたじゃない？　キングは笑い上戸かって」
「うん」
「笑い転げるキングを見たわけ？」
「そう」
「へえ？」
ヒデミの口調がちょっと気になる。
「何」
「キングはいつも余裕で笑みを浮かべてる人だけど、笑い転げるところなんて昔はともかく、最近はまず見ないもの。珍しいわよ」
ショーコの髪を一本つまむと光に透かす。ヒデミの真剣な眼。

「…そうなの？」
「実はあんたのこと、気に入ってたりしてね」
「は？　っ！」
思わず振り返った拍子に引っ張られた髪はプツッと切れてしまった。
「あー、切れた」
「…痛い」
「トリートメントしよっか。蒸しタオル蒸しタオル」
「ええ？」
あわただしく動き回るヒデミを眺め、鏡に向き直ったショーコは深いため息を吐いた。

『気に入ってたりしてね』
「…そんなわけないじゃん…」

すぐもたげようとする期待は摘んで戒める。今のショーコには理由を考えるゆとりがなかった。


迎えにまで現れたキングにショーコはまた驚いた。
「帰るぞ」
「やーだ、キングったら。所帯じみた台詞」
「他に言いようがないだろう？」
ヒデミのからかいをあっさり受け流す。振り返ったショーコがどもる。
「し、仕事は？」
「今日は上がりだ」
「早いじゃない。こっちに合わせてくれたの？」
「え？え？」
まさかという顔でショーコがヒデミとキングを見比べる。

「先週で一段落したからな。祭りまでは時間をとるつもりだ」
「そうよねぇ。影の実行委員長だし」
「影って？」
影とか裏とか、そんなのばかりだなと思いながらショーコが聞く。

「この人、１０年前にフェスティバルを立ち上げた一人なんだけどね。表立つのが嫌いで、今だって一番労力使ってる割りには、ちっとも目立とうとしないのよねぇ」
「必要ない。逆にトラブルの元だ」
「はいはい。ショーコ、また明日ね」
「へ？」
腰を上げたショーコはヒデミの言葉に振り返った。明日も？

「コンテストまで日がないから。お手入れとちょっとでもあたしの手に慣れるのと当日のヘアメイクプランを立てるため。毎晩来るの」
「毎晩？」
「１２時前には返してあげる。睡眠不足は髪にも肌にも良くないから。あんたの仕事、出勤時間遅いんでしょ？」
「…１０時」
「教えてあげたことちゃんとやるのよ。髪とお肌のお手入れ。いい？」
「ふわぁーい」

ヘアクリームにシャンプーリンス、トリートメントと基礎化粧品。定価ではとても買えないだろうそれらをどっさり紙袋ごと押しつけられて、ショーコは恐れとも呻きともつかぬ声を出す。
「キング。まさかと思うけど手ぇ出すんじゃないわよ」
ヒデミがぴしっと突きつけた指にキングが返したのはしらっとした目付きだけだ。

ほらやっぱり。
気に入ってるわけない。

そう思いながら気持ちがざわつくのが、自分でも理解できないショーコだった。