「だから、雛祭りをだね」
コーヒー片手に熱弁をふるう温だが、妻も娘も突然現れたマングースでも見るような目つきで見るのでちょっと傷ついていた。

二月末。春はすぐそこだ。


年の初めに娘の美羽が連れてきた彼氏は亀沢丈と名乗った。イケメンで仕事もできる男親としては憎たらしい、ちょっとやそっとでは頷きたくないようないい男。会う前から拒否反応を起こしていた温は会った途端に拒絶反応を示したが、すったもんだの挙げ句に縁はまとまり、彼の両親ともすっかり親しくなった。嫁にやるというよりも家族が増える気分なのは嬉しい誤算だ。

結婚式は６月に決まり、その前に形ばかりだが結納と称してホテルで会食することにした。昔と違い今時は仲人をたてて祝いの品を交わす正式な結納は少ない。美羽と丈も、式においては社内恋愛のこともあり上司に仲人を頼む予定だが、婚約は家族のみの略式にした。

結納の日は三月半ばの美羽の誕生日。それが丈の望みだと聞いて温とののは笑った。笑いながら泣きそうだったのは、とりもなおさず双子の弟・明石の誕生日でもあったから。


逝って数年、息子の死をやっと穏やかに認められるようになった温だが、それでも命日と誕生日の前後は心が揺れる。丈と美羽のおかげで来年からは、悲しみと一緒に喜びをもって迎えられそうだ。きっと明石も姉の幸福を喜んでいるだろう。自分が忘れない限り息子は自分と共にある。それが温のたどり着いた信念だ。


かくして両家とも結納と挙式を楽しみにしていたのだが、二月下旬に美羽がバスの事故に巻き込まれて二家族は肝を冷やした。幸い命に別状はなく怪我も軽くて安堵して。亀沢家を招いて雛祭りをしようと温が言い出したのはそのあとだ。妻と娘に力説する。


「美羽も６月には結婚だ。つまりうちでの雛祭りは今年限り。せっかくならにぎやかに過ごしたいと思わないか。よしすぐ丈くんに連絡してだな」
「お父さんたら大げさよ」
美羽が吹き出し、ののも笑う。

「そうよ。丈さんと海外赴任するわけじゃなし、すぐそばじゃないの。おひな様も狭いマンションで飾るよりうちで飾って二人に来てもらったら」
「そうね。ひな人形って収納も場所をとるし」
「だとしても来年の雛祭りには、美羽は亀沢姓になってるじゃないか」
女性陣に負けじと温が訴えれば、例によって美羽の反応は妙にずれる。

「お父さんもしかして。丈さんに養子に来て欲しかったの？」
「ええ？　亀沢さんもひとり息子の長男だし難しいんじゃない？」
ねえと顔を見合わせる母子。ずれ具合までよく似ている。ほほえましいが困る。

「でも。相談くらいなら」
「そうかしら」
母としゃべる美羽は早くも携帯を手にしている。放っておくとまじめに養子話を丈へと持ち込みそうだ。養子？　いやいやいや。多少食指は動くものの温はあわてて止めに入った。

「待て待て待てそうじゃない。そっちじゃなくて」
「あっち？」
「どっちよ」
「だから。僕は美羽の結婚前の雛祭りを、亀沢家の皆さんとうちで祝いたいんだって」
ぜいぜいぜい。これだけのことがどうして簡単に伝わらないのか、我が妻子ながらちょっと首をひねりたくなる。

「それだけ？」
「お父さんたら。脅かさないで」
脅かしてるのはそっちだろう。反論を堪えて言を重ねる。
「美羽の事故のことで心配をかけたお詫びも兼ねて」

とたんに二人は乗り気になった。
「いいかもしれないわ」
「三日はたしか平日だから、手前の日曜日はどうかしら」

「美羽、丈さんとご両親のご都合を早く聞いてごらんなさいよ」
「はーい」
「……最初からそう言ってるだろう」

愚痴は二人に届くことなく。だが、雛祭りの集いは無事に承諾を得て、温はようやく満足したのだった。