事故当日。

病院に駆けつけた丈が美羽を連れ帰ったのは、自分の部屋だった。やっぱり熱が出た彼女を看病したのだが、かかりきるあまり美羽の実家への連絡を失念してしまった。


翌朝、烈火の如く電話で温に怒鳴られた丈は、あわてて美羽を連れ白兎家へ急ぐ羽目になった。連絡しなかったのは丈の失態だ。怒りも甘んじて受けるしかないと覚悟はしていたものの。

玄関に仁王立ちってのはどうなんだ？


開けたドアを思わず閉めかける丈に、怒鳴り声が飛んできた。


「亀沢くんっ、逃げる気か？」

逃げてもいいでしょうか。　聞く前に美羽が割ってはいる。


「お父さんたら玄関で何やってるの。仕事は？」
「それどころじゃないだろう。おまえこそ」
「お母さんは？　おかーさーん」

娘の声に奥から、いつもより少し急いで母・ののが現れる。


「美羽。あなた大丈夫？」
「そう、そうだ美羽。身体は？　怪我は？」

上がり口で靴を脱ごうとした美羽が背中の痛みに顔をしかめる。世話焼きのめんどりよろしく温が騒ぐ。


「たいしたことないのよ。背中をちょっとガラスで」
「ガラス？　ガラスだ？　亀沢くん！　君は一体何してたんだ！」
「すみませんでした」

丈は唇を噛みしめ深々と頭を下げた。予想外だったのだろう。彼の苦渋に満ちた様子に温とののが驚き、美羽があわてた。


「丈さんやめてください。事故ですよ。丈さんがあやまることなんて」
「いや、元はと言えば」
「元はと言えばあたしがちゃんと話を聞かなかったからでしょう？　お父さんもやめて。丈さんを責めることじゃないでしょう？」

美羽の抗議に温がぐっと黙ると、ののが口を挟んだ。


「ほんとよ。怒るべきは丈さんじゃなくて美羽だわ」
「そ……、あたし？」
「新聞を見てお父さんも私もどれだけ心配したか。事故、なのよ？」

母の言わんとすることがわかって黙り込むのは美羽の方になる。


「無事で何よりだった。だからこそ連絡してくれなきゃ」
「……うん…」

そのとおりだった。忘れてたなんて自分でも情けないと思う。ただ、昨日はずっと丈のことしか頭になかった。


「いいえ、僕がするべきだったんです。彼女は夕べも熱があってそれどころじゃなかった。ご両親が心配なさるのは当然なのに。ほんとうにすみませんでした」

もう一度深々と詫びる、丈。今度は美羽も一緒に頭を下げた。


「心配かけてごめんなさい」

二人の前、顔を見合わせた温とののは、やっと愁眉を開いて微笑んだ。


「いいよ。無事だったんだから。ほらあがんなさい」
「熱があったの？　起きて大丈夫？」
「うん」
「…お邪魔します」

やっと４人は玄関から先へと進むことができた。





温もののも、美羽の様子に安心したようで、事故の説明はあまり詳しく求めようとはしなかった。明石のことを思い出すからかもしれない。ただ、無事を喜び安堵する二人に、丈は改めてすぐ連絡しなかったことを申し訳なく思ったのだが。

その後が大変だった。


「で、式場の準備は進んでるのかね？」
「ええ。チャペルでの式に決めました。あとは披露宴の詳細とですね」
「チャペル？　チャペルってまさか」
「何？」

急に顔色を変えた温に、美羽と丈がきょとんとする。


「チャペルってことは教会式だろう？」
「えぇまぁ」
「祭壇に並んで誓いをたてる」

「そうよ」
「なんで勝手に決めるんだ！」
「…何かまずかったでしょうか」

おいおいまたトラブルか？　丈も美羽も訳がわからず緊張が高まるが、次の瞬間。


「祭壇まで連れて行くのは花嫁の父だろう？　責任重大じゃないか！」

ドッと、ふたりして昨日どころかここしばらくの疲れがまともに肩にのしかかった気分だ。だからどうした、と怒鳴るのはさすがに差し控えたが。


「あらお父さん凄いじゃない？　スターになれるわよ。娘の式で脚光浴びるなんて花嫁の父しかできないわ」
「何をのんきな。途中でこけたら一生の恥だよ？」

こけるつもりですか。
そろって心中突っ込む。


「じゃあ私が代わってあげる。ねえ、花嫁の母じゃ駄目かしら」

伏兵現る？　母というのはいずこもやっぱり突拍子がないものか。自分の母が言い出しそうなことをののに言われて、丈はますます頭を抱える。それは美羽も同様だ。


「ののさん、馬鹿を言っちゃいけない。これは花嫁の父の特権だよ」

おっと。責任が特権に代わったぞ。さりげなくウィンクしたののに、感心する丈。なるほど、うまく操縦している……ふと不安になった。

彼女の娘ということは、いずれ自分もこうやって操縦されるんだろうか。いいかと思ってしまうあたりすでに手遅れかもしれない。



「よし、美羽。練習だ。練習するからな。祭壇まで何歩あるか調べてきなさい。どっちの足から踏み出すとかもちゃんと」
「はいはいはい。わかったから」

すでに事故のことなど明後日の方角。それはそれでいいかと思いつつ美羽はつい生返事になる。心配させたのは申し訳なかったけれど。

そこで、思い出したことがあった。


「お母さん、ちょっと」
「何？」
「コートがね」

美羽の言葉よりもまなざしに何か読み取ったのだろう。母はすんなり腰を上げる。


「あなた。丈さんの相手をしてあげてね。いじめちゃ駄目よ」
「駄目よ」

娘と妻、ふたりに釘を刺されて温が心外だという顔になる。


「いつ私が苛めたんだ。なぁ、丈くん」
「はぁ」

苦笑いする丈を父と残して、二人は二階に向かった。