『寝過ごした。少し遅れる。ごめん』

丈からのメールはあわて気味だった。珍しい、と美羽は小首をかしげる。
「やっぱり疲れてるのね」


暮れも押し詰まった１２月３０日。例年なら実家で母の手伝いをしている頃だが今年は違う。メールを読み返しながらつい緩む口元。我に返るとそんな自分が不気味で、緩んだ顔を引き締めつつ携帯を閉じた。人目のある大通りで何やってるんだろう、なんて。


夏に始まった恋は小さな喧嘩はあってもこじれることはなく秋から冬へ。寒くなるに連れむしろ熱を上げていった気がする。クリスマスがまさしくイベントに成るはずだったのに。狙ったように、いや狙われたみたいに？　丈がイブをはさんでの大阪出張を言い渡されてしまった。仕事納めにも間に合わずゆうべやっと戻ってきたところ。


今日の約束はクリスマスの代わりにと丈が言い出したものだ。
『万難を排しても必ず戻るから』
仕事とはいえイブに会えないことに少なからずがっくりした美羽だったから、丈の断言は頼もしかった。逢えないまま年を越したくない。同じ想いなのが嬉しくて。


携帯がまた鳴った。メールかと思ったら母からの着信。
『美羽、いつ帰るの？　お父さんがうるさくって』
うんざりした声に苦笑する。寂しがりの父が母をせっついているのだろう。
「明日はちゃんと帰るって。年越しそば私の分も忘れないで」
『二年参りもね。ちょっとは機嫌とらないと後で大変よ』
ギクッとする。丈のことはまだ話していないが母の勘は時々鋭い。
「わかってる。じゃあね」


ぼろを出さぬうちに通話を終えるとため息を吐いた。つきあった人がいなかったわけじゃないけど、振り返るとみんな彼氏と言うよりもボーイフレンドに近かった。丈はいわゆる恋人だとは思っているがこれからどうなるだろう。美羽にもわからない。わからないことを悩んでもしょうがない。

ひゅっと駆け抜ける北風に身を竦めた拍子に宝石店のショーウィンドーが目に入った。クリスマスの名残りだろうか。十二ヶ月の誕生石が美しく飾られている。３月はアクアマリン。自分の誕生石なのを差し引いてもその青い輝きは美羽の好みだ。携帯に目をやれば時間はまだある。目の保養にと美羽は店に踏み入った。





待ち合わせはホテルのレストラン。おじゃんになったクリスマスディナーの代わりだ。人は少なくもないが多くもない。暮れの慌ただしさもここにはなくゆったりした空気が流れる。まだ丈の姿はなかった。


予約席に着くとこれも注文されていたらしい食前酒が運ばれた。綺麗なピンク色のフルーツカクテルはあまりお酒を飲まない美羽でも美味しい。甘い口当たりと香りがいかにもこれからを期待させる。
これから？　何が？　先走った思考に自分で呆れ赤面した。
あぁもうあたしったら。カクテルで頭もピンク？


今夜はホテルの部屋も予約を取ってある。かまととぶる気はないが勝手に熱くなる体は想定外。つきあって以来、こんなに長く顔も見られなかったのは初めてで。思っていたよりずっと心はもちろん体も彼にはまっていることに焦った。なかなか冷めない頬をうつむきながらこする。
「こんばんは」
声に弾かれて顔を上げた。


絶対人違いだと思った。見覚えがないし会ったことがあれば忘れない顔。美形だ。淡い色の入った眼鏡がよく似合っている。かといって線は細くなく男性らしい筋の通った強さもある。その気になれば容赦なくもなれそうな。でも浮かべてる笑みはやわらかくホワッとした雰囲気。

「もしもし。起きてはる？」

関西弁が意外だった。それ以上の分類は美羽には無理。大阪、京都、奈良。修学旅行でしか行ったことがない。

「なぁ、白兎美羽さん」
「はいっ・・・あれ、人違い、じゃない？」
「じぶん、白兎さんやろ？」
「ええ、はい。そうですけどあの。どなたでしょう？」
頭の周辺にクエスチョンマークが飛び交っているだろう。そんな顔の美羽に相手はあくまでもニコニコしながらウェイターを呼び寄せる。


「悪いんやけどここ、もう一つ席追加してんか？」
「え？　っと？」
美羽のとまどいを余所にウェイターはあっさり承諾する。
「食前酒をお持ちしましょうか」
「あ、水割り」
「あのー」
丈がすわるはずの目の前に腰を下ろされて美羽は唖然。
なんで？　丈さんは？　


「カメさんもぼちぼち来よるやろ」
「カメさんて」
「それにしても意外やったなー。今までの好みと真反対やん。つまり本命ちゅうことやね。めでたいわ。あ、おおきに」
運ばれてきた水割りを手にすると美羽に向かって掲げる。つい条件反射で美羽もカクテルグラスを持ち上げるとカチンと鳴らされた。


「源　光　みなもとひかり、ちゅうねん」
「み、なもと、さん？」
「せや。以後よろしゅうに」
「以後って」
「お、きたきた」
背後に彼を感じた。肩に置かれた手が大きくて暖かい。嬉しい。だが丈は怒るのに忙しそうだ。


「みーなーもーと！　どういうつもりだ。なんでここにいる」
「なんでてそらカメさんに年貢を納めさせる彼女を拝みに」
「ばっ、なっ、おまえ？」
「どうどう、落ち着きぃなって」
「そのエセ関西弁聞き飽きるぞ」


「つれないこといわんと。なあ美羽ちゃん」
「名前を呼ぶな、馴れ馴れしい」
「ほなウサギちゃん？」
「バニーガールか！」
「・・・お客様、少しお声を」
「・・・ッ・・・ククッ・・・」
ウェイターに制された丈を見てうつむいた美羽は肩を震わせ始める。


「あーウサコちゃん大丈夫？　こわないで？」
「違う」
二人の間に作られた第三の席に座った丈は憮然とした顔で注釈する。
「笑ってるんだ」
「へ？」
「笑い上戸なんだよな。ツボにはまるとしばらく止まらん」


きょとんと見下ろした関西弁男と笑いを堪えよう涙目の美羽の眼が合う。光が吹き出した。
「ハ、ハハハッ、そら傑作や、アーハッハッ」
「源、黙れ、うるさい」
「やだもう、丈さん、変っ」



声は殺しても、美羽と関西弁男が笑いの発作を納めるにはかなりの時間がかかった。諦めた丈は仏頂面で耐えるしかなかった。