扉の前でスタンバイしていた温は、流れるイントロにこけそうになった。
国民的に大ヒットしたアニメは、主題歌がそれ以上にヒットして、いまだ温でも思い出せるくらいだ。

それはいい。
それはいいが、これで歩けと？
歩けるのか？

そもそもバージンロードにふさわしいのか？


温の逡巡をよそに、扉の向こうではなぜか大合唱が始まっている。
「ぽーにょぽにょぽにょ……」

まてまてまて、聖歌隊がポニョを歌うか？
列席者まで歌ってるぞ。待ってくれ。

焦っていた温はふと、違和感をおぼえた。
自分の手にかけられた美羽の、手が。


並んで歩くふたりだが、ウエディングドレスはひっかかりやすい。
花嫁は少し下がり気味にとアドバイスされていた。

美羽は決して背が高い方ではないが、それでも温を５、６センチ上回るので二の腕に添えるように触れていた。

その位置が、違う。
下がってる？　いや、ぶら下がってる？
ものすごい違和感だ。

確認しなければと思いつつ、横を見るのをためらっていた温の耳に。

「みう、　じょうさん、　すきーっ！」

これまたどこかで聞いたような？
いやいやいや。

急いで隣をみた温だが、視線は空ぶりした。
いない、じゃなくて身長が、足りない。
斜め下に小さな頭。ひよこみたいにはねている髪。

ぶらさがっている、女の子？


「　みう、　じょうさん、　すきーっ！　」


美羽だ。
確かに美羽だが、さっきまでの清楚な女性ではない。

４歳か５歳くらいの小さな美羽。
ぷくぷくの手が温の手をいつのまにかにぎりしめている。
ぶんぶん振っている。


「　じょうさん、すきーっ！　」


温の気持ちはいかんともしがたいものだった。
あの、花嫁姿の美羽が丈と結ばれることは喜んでいた。
なんだかんだと難癖はつけたが、いい相手だと認めている。
だが。

この、小さな美羽は別だ。
別だぞ。



間の悪いことにその瞬間、扉が開いた。
遮られていた大合唱がふたりになだれ込む。
気づいた時には温の手をはなして、美羽はバージンロードを突っ走っていた。


「　みう、　じょうさん、すきーっ！　」

「美羽、まて、いかーんっ！」


阻止だ、絶対阻止だ。
未成年略取誘拐だ、ロリコンだ、あの野郎！


丈にはなんの責任もないのだが、そんなの知ったことではない。
温の脳裏をおよそ可能な限りの非難がかけめぐり、美羽をつかまえようしたのだが、しかし。


「　みうーっ　」


鉄砲玉みたいに突っ込んだ小さな美羽を、抱き止めたのも男の子だった。

美羽より年上のきりっとした顔立ち、すでに男の子というより少年か。
ふたりとも互いをぎゅうぎゅうに抱きしめあってぐるぐる回って尻餅ついている。


バージンロードの手前で温はなんだか気が抜けてしまった。
大人の丈だったら引きはがしていただろう。
しかし、少年の丈が美羽を抱きしめ、ふたりではしゃいでいる様子はほほえましいだけだ。

訳もなく敗北感を覚える。


「なにをボーッとしている」

話しかけてきたのは、いつのまにか隣にいたむさ苦しい長髪の眼がぎょろっとした男だった。


「ポニョを取り戻すんだ」
「あれは美羽だ」
「そーすけなんぞにやれるか」
「あれは丈くんで」

「いくぞ」


ドドドッと水音が背後からした。
あわてて振り返る温と、横の男をすりぬけて。バージンロードを波が突進していく。魚の津波だ。

ぐえ。


大合唱は続いている。
ええい、ポニョポニョとしつこいったら。
まだぎゅうぎゅうしていて気づかないふたりに波は襲いかかる。

危ない。


「　美羽！　　丈くん！　　美羽ーっ！？」





はっと目が覚めた。自分の声で起きたようだ。
ののが驚いてこっちをみている。

「なにお父さん、寝てたと思ったら」

その後ろから聞こえてくる歌。
夢と同じ「ぽーにょぽにょぽにょ」とエンドレス。
そうだ、映画をテレビで見ながら寝てしまったんだった。

思い当たった。
さっきの男はポニョの父親か。


「ののさん」
「なあに」
「ちっちゃい頃美羽は、僕のお嫁さんになるって言ったことがあったよ」
「あったわねぇ、明石もお母さんをお嫁さんにしてあげるって、威張ってたわ」
「親って寂しいねえ」
「お父さんたら、あなたのお嫁さんは私ですからね」

ぎろっとにらまれてもしょげた気分は持ち直さない。花嫁の父の悲哀がわかるのは花嫁の父だけか。ポニョの父親と酒でも酌み交わせばよかったなぁ。

悲哀に浸る温にやれやれと肩をすくめ、ののは台所へ戻っていく。



結婚式まであと何日？





　　　　　　　　　　　　＜　Atsushi's　Nightmare　No.1　/　End＞