番外編　「ショコラ」

番外短編　「ショコラ」

いつもなら。
朝の香りはコーヒー。

それはあなたの役目で、あたしにはあまりさせてくれない。
「おまえが入れると全部一緒になるだろ。」
ずいぶんな言われようだけど、反論できないのが悔しい。

思い出す。
目覚めたら隣にいて、びっくり仰天したあの朝も。
コーヒーを入れてくれたね。
あの時のあたしはそれどころじゃなかったっけ。

一緒に眠った翌朝は、あなたの入れるコーヒーが定番。
だけど、今朝は特別。
何故って。

×　×　×　×　×　×

眼を開けたら、隣のあたるがもういなかった。
鼻をくすぐる香りに気づく。
コーヒー？　違うな。
もっと華やかな甘い－－。

「あれ？　起きたの？」
ひょこっとあたるの顔がのぞいた。
「んー。・・・・・おまえ、珍しく早いじゃん。」
「えへへ－。」
天羽の返事も待たずに、柱の向こうへまた消える。
なんだ？
あの笑顔は・・・なんか企んでる？

頭はまだ起きない。
なのに目を閉じても、眠りにとどかない。
こういうときは睡眠薬を抱えれば一発だっていうのに。

ふと歩いてくる気配。すぐそばで。
「ね、起きて。」
「んー？」　わざと眠そうな声。
「早く。」
「・・・んだよ。」　しつこいな。
「いいから。」
仕方なく開けた眼にとびこんでくる、春みたいな笑顔。
ドキッとしたのをごまかして起きあがると、差し出されたのはマグカップ。

「？」

あたるがニコッと笑う。
「飲んで。」
いつもと違うシチュエーションにきょとんとする。
「・・・毒じゃないだろうな？」
「んー・・・かもね？」
いたずらっぽく踊る瞳が不思議に艶を帯びる。
なんだよ。今朝は妙に？

とりあえず受け取る。
これもいつもとは違う、口の広い厚手のカップ。
コーヒーよりも濃密な色あいの。
この香りは。

眼で促されて、おそるおそる口に含むと。
柔らかな温度と共に、口の中に広がるビターな甘さと濃度。
寝起きの頭に優しく染みていくような。

「・・・これ・・。」
「ショコラ・・って言うのかな。」
「・・またなんで？」
「たまにはあたしが作るのもいいでしょ。美味しくない？」
「いや・・・結構うまい。」

お世辞ではなく。
甘いものは日頃あまり口にしない方だけど、
微妙に苦さが混じったこの味は、思いがけなく美味しかった。
カップに７分目くらいの量を飲み干してしまう。
「よかった。」
空のカップを受け取って、あたるはもう一度微笑んだ。

×　×　×　×　×　×

機嫌のいい後ろ姿に、首をかしげる。
なんだ？
ショコラ　・・・ってことは・・・チョコレート。
それを今朝。
今日は・・・あ？

やっとつながる思考回路。そうか。それで？
フッと漏らす笑み。
笑い出したら止まらなくなってしまった。
「・・っ・・・くっくっ・・」

自分のカップでショコラを飲んでいたあたるが、不審げに振り返る。
「・・・何？　どうしたの？」
一向に笑い声は止まる様子がない。
ムッとしながらカップを置くと、ソファベッドまで寄ってくる。

「ちょっとー。何がそんなにおかしいの？」
枕元で腰に手を当てて、にらみつけたのに。
突っ伏して笑い転げていた天羽のちらっと見上げてきた眼。
ドキッとさせられたのはあたるの方。
おまけに腕を引っ張られて。
「ちょっ・・・きゃっ・・！」
腕の中に納められてしまった。

「初めてじゃん。１４日におまえがくれるの？」

耳元で低く囁かれて真っ赤になる。もうばれた？　早すぎるよ。
「あっ、あのね、その・・・。」
言い訳しようとして上げた唇にショコラの痕。
天羽の指先が、それを拭う感触に。
ゾクッと背筋を走る何か。

いきなり口づけられる。
大きく見開いた眼がゆっくりと閉じられる。
口腔内に残る味を余すところなく舐め取る舌で。
微かな香りまで交わしあう。

息まで飲み込まれる口づけの長さに。
やっと離れた時には、あたるの意識は朧ろに霞む。
その妖艶な表情を独り占めにして楽しみながら。
「・・・もうちょっと甘くてもいいか？」
「バッ、バカ・・・ッ」
「バカってなんだよ。台詞間違ってるだろ。」
「っ・・・・だ、だって・・。」
「告白はないわけ？」

思い切り意地悪な目つきは久しぶりの悪魔な天羽。
よりによって今日。いや、今日だから？
逃げ場を探して眼を彷徨わせても、
ベッドで抱え込まれていては、どこに逃げられる訳もない。

「観念しろって。言うなら今のうち。」
「な、なんか違うよ～。」
「違わない。」
その声音に混じる響きはマジ。
－そうだよね。
お菓子メーカーの陰謀に乗っただけだとしても。
伝えておきたい想いはある。

「・・・その・・・待・・・たせてごめ・・んね・・・。
　・・・なんだけど・・・・もう少し待ってて・・・くれる？・・・・・・」

真っ赤な顔で申し訳なさそうに言う言葉に。
深～くため息が重なる。

「・・・このタイミングで言うかよ・・。」
「え？」
「おまえね、お預けくらってる身になれって。」
「だ、だからごめんって・・・。」
「そうじゃなくて・・・・・しゃあないか。当然・・・手伝ってくれるよな？」
クイッと顎をつかまれ、のぞきこまれて焦る。

「な、何を？」
「堪忍袋の緒を延ばすのを。」
「はいぃ？」
紅いままの頬で、なんだそりゃという声を出すあたる。
後ずされないけど心中後ずさりつつ、とりあえず聞くだけは。
「・・・どうやって？」
「キスしよう。」
聞かなきゃよかった。悪魔が微笑む。

「俺の気がすむまで。」

×　×　×　×　×　×

２月１４日はバレンタイン・デー。
聖者はともかく。
恋人たちは忙しい。たとえば。

ショコラの香りの中で、キスを繰り返す二人のように－－。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜　chocolate/end　＞