遅れる。

時計を横目に一星は急いでいた。花金の夜、この辺りは自転車より走る方が早い。それにしてもと待ち合わせている二人を思い浮かべる。
気持ちはありがたいけど、誕生日をカップルに祝われても当てられるだけだ。姫が一緒ならともかく。ていうかどうせなら姫に祝って欲しかった。ちょっと悔しい。


想いを通じ合わせたのは秋の初め。まだまだ日は浅く、自分の誕生日を告げるタイミングがなかった。何分相手は社会人で逢える時間は限られるし。
さりげなくその日の予定を聞いてはみたのだが、案の定。

「ん？　用が入ってる」

あっさり言われては実は誕生日でなんて言えなくなった。代わりにイブは押さえたからそれで良しとするしかない。生まれてこの方彼女が居るバースデーは初めてだってのに、というぼやきは胸でくすぶらせるのみ。

ならば今夜一人じゃないことを喜ぶべきなんだろう。彼らに出逢って４年。出逢わなかったらどうしていたのか。感謝こそすれ文句を言う筋合いではない。


今年はずいぶんはりこんだよな。スーツ指定ときた。辿り着いた人気のシティホテルを見上げて呟く。
「二人で泊まるつもりかな。俺ってただの前座かも」

めざすのは最上階のイタリアンレストラン。ネガティブになりがちな思考を振り払い、一星はエントランスへ階段を上っていった。


高速スピードのエレベーター。いつもは平気なのに珍しく酔った。予約の席に案内されたが二人はまだのようだ。腰を下ろしても先ほどの気持ち悪さが抜けない。そのせいで見間違ったのだと思った。通路を歩いてくる人を。

光姫。


目をこすった。やばい。幻を見るほどいかれてるのか。今夜の予定なんて一言も告げてない。彼女が知るはずないのだ。なのに何度目を凝らしても幻は消えない。本物？

カッと頭に血が上ったのはその装いにきづいたから。見慣れたスーツじゃない。ツーピースのドレス。柔らかな生地が柔らかな身体にまとっている。トレードマークのピンヒールもシックなシルバー。何よりいつもきっちりまとめてる髪が、ゆるやかに肩を覆って背へと流れ落ちていた。

どう見たってデートだ。一体誰と？


どす黒いジェラシーを理性が必死に押さえようとする。光姫はそんな女じゃない。他の男となんて。何か理由が。仕事とか。あんな格好で？

押し問答の思考にがんじがらめで動けない一星へと光姫はまっすぐ向かってくる。眼が合うとあわてるどころかふんわり微笑んだ。一星の険しい顔つき、今にも爆発しそうな怒りには気づかない風にピタリ向き合う。


忘れがちだけど彼女は小柄だ。ヒールをはいても座っている一星よりやや高い位の目線。髪に見え隠れする耳。締まった顎。怒りより欲が先んじようとする。今すぐにでも光姫が欲しい。せめぎあう感情に言葉が出ない。


いきなり視界が花で一杯になった。白と青と緑。涼やかで淡い色合い。ところどころの赤い実がアクセント。見事な花束だ。

「お届け物です」

改まった声で光姫が言う。何がどうなっているのか、花と彼女をただ見比べる。


「天川右生てかわ　ゆう　様、柚池彩芽ゆずいけ　あやめ　様よりお誕生日のお祝いに」
「はぁ？」
「花束と、それから」

テーブルに花を置いた光姫はその上に白い封筒も乗せた。

「手紙も」

にっこりされてどうしろというのか。


「ひ、め？　これって」
「とりあえず読んだら？」

向かいの席に座りながら促した光姫は勝手にウェイターを呼んでいる。半ばヤケで一星は封筒を開けた。書いたのは彩芽らしい。丸っこい文字が彼女を思わせる。


『お誕生日おめでとう。そろそろ嫌がられそうな気がしたんだけど』

来る途中を思い返してお見通しかと焦る。

『どうやら今年でお役御免ってことで。お花と一緒に彼女をお届けすることにしました。ディナーと部屋つきよ。スウィートは無理だったけど勘弁ね。あ、避妊は必須』

がっくり肩が落ちる。彩芽さんときたら母親だなまるで。


『光姫さんにはサプライズだからってことで内緒にしてもらいました。怒らないでね。素敵な夜を！　右生と彩芽より』


眼をあげれば鼻先でカードキーを振り回す彼女。
全く。
怒る気力なんて残っちゃいない。怒るわけないじゃないか。こんな最高のプレゼントもらえる奴は滅多にいない。


「お客様、お気に召していただけましたか？」

楽しそうにのぞきこんでくる光姫の唇をテーブル越しに塞いでやった。あぁほんとに俺って今、世界で一番幸せかも。さすがに赤くなって睨んでくる彼女の愛しさ。


「……いつのまにこんな悪巧みしたんだよ」
「天川さんから電話もらったの。ほら初めて会った時。名刺交換したでしょ」

一星の脳裏に天川のしてやったりという顔がくっきり。嬉しいが悔しい。あの人ときたら。

「俺のがっかりとかジェラシーとか。面白がってたわけね」
「さっきの一星の顔。シャメしちゃえばよかったわ」
光姫が唇を尖らせる。されなくて助かったと心から思った。


とびきりのフルコース・ディナーは美味この上なかったが、一星にすれば焦らされるばかりだ。光姫の笑み光姫の香り。デザートのムースを味わう光姫のふっくらした唇。のぞく舌。

我慢の限界と立ち上がった彼を尚、光姫は無邪気に煽る。

「食べないの？」
「俺のデザートは、あなただろ」

赤と白のワインにほんのりそまった彼女の、きれいな眉が勝ち気にあがる。


「あら。メインディッシュだって自負してたのに」

プッと吹き出した一星を、頬杖ついたまま挑むように光姫は見つめた。誘惑を込めて。

「違う？」

コクン。無意識に一星の喉が鳴った。


「違わない」


満足げに笑った光姫はナプキンで軽く口元を押さえ立ち上がる。差し出された彼の手にはしかし、忘れられていたお祝いの花束が渡される。

「今夜のあたしはエスコートだから。部屋まで先導するわ」
「姫」
「あなたのためだけに」

何度見ても見飽きぬ笑みで一星の動悸を跳ね上げる。


「行きましょう」

先に立つ女ひと　は求めて止まぬ彼だけの花。

手に入れた幸運を噛みしめながら一星は追いかけた。
今夜、彼へと贈られたとびきり大きな、



花　しょって。





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