源みなもと　家は今、七人家族だ。


　「ゆかり？　ゆかりー！　ちょっとー！」
　「はーい、待ってー」
　母に呼ばれ、あわてて階段を駆け降りる。

　居間のテーブルに座っている母の、お腹は大きい。すごく大きい。破裂しないかと心配になるくらい。

　藤ねえにそっと尋ねたら、ぽんぽんと背中を叩いて安心させてくれた。雀ちゃんはホットミルクを出してくれた。
　「大丈夫」
　「お母さんも赤ちゃんも元気だよ」

　わかっているけれど、そう言ってもらうだけで安心する。小町や父だと、安心どころか大騒ぎするので聞けやしない。そう言うと、藤ねえに笑われた。「同じこと言うのね」って。

　誰とだろう？


　「お母さん、なに？」
　「紅葉くれは　がどっか行っちゃった。おやつって呼んでも、出てこないのよ」
　「またぁ？　しょうがないなぁもう」

　紅葉は二つ下の弟で、幼稚園の年少さんだ。ひとりが好きで、思いもよらないところに潜り込むクセがある。そうすると、なかなか見つけられない。

　「あたしが捜してくるから。お母さんは座っててよ？　しゃがんだりしないで」
　「わかってるってば。このお腹じゃもうできないし」

　スカートの裾に土が付いているのを見て、どうだかと怪しむ。母は頑固で、やろうと思ったことはやってしまう質たち　だから、念押しする。

　「座ってて。お父さんや小町さんが心配するから。いい？」
　母が苦笑いして、うなずいた。
　「了解了解。頼りにしてるわ。　お願いね、紫ゆかり　」


　「紫」　と書いて　「ゆかり」　と読む。
　名付けてくれたのは母だ。
　「あなたの名前には三つの意味があるのよ」
　母が何かにつけて話してくれるので、もうそらんじている。

　ひとつ目の意味は、暁。
　紫が生まれたのは夜明けの時刻。朝陽が空を染めていくのを、母は感じたのだという。

　「紫のグラデーションがすごく綺麗だったの」
　それが母の口癖。
　
　二つ目の意味は、縁えにし　だそうだ。
　父と結ばれてたくさんの家族が増えた、自分が生まれる時にその縁を、この上なく嬉しく思ったからと。
　「縁の字は、ゆかりとも読むから」
　ちょっと難しくて、まだよくわからない。

　三つ目の意味はよくわかる。伯母の名前からだ。
　生まれた時から一緒に住んでいる「藤ねえ」こと、藤尾伯母さんは、父の姉だ。祖母の小町と、旦那さんの雀と一緒にティールームをやっていて、優しくて溌剌とした自慢の伯母さん。
　その名の「藤」から色をもらったと、そう母は言う。

　「初めてのお産ですごく不安だったの。藤尾伯母さんのお陰で、お母さんがどれほど心強かったことか」
　三つの意味を込めて　『紫ゆかり　』　と付けた、そう繰り返し母は話す。

　自分でも気に入っている。
　なんといっても、大好きな母がつけてくれたんだから。
　「ほんま、ええ名前や。お母はんは最高やろ？」
　得意そうに笑う父も、もちろん大好き。

　それにしても。

　「くれはー、くれは？　どこ行っちゃったんだろう」

　紫の家の庭は広い。雑然としているようで、季節ごとにそれぞれ花が咲き乱れるのは、祖母の小町が手入れを怠らないからだ。

　紫も大好きな庭だが、紅葉は一日中ここにいることがある。ちっちゃな獣みたいだと紫は思ったりする。姿が見えないから忍者みたいって思うこともある。

　でも、どこを好きか、なんとなくわかる。
　たぶん、あそこにいるんじゃないかな。

　紫が予想したとおりの場所で、紅葉は眠っていた。庭の奥に立っている白い碑は、お父さんが小さい頃に死んでしまったという、源のおじいちゃんのための碑だった。紅葉はこの陰がお気に入りなのだ。

　気持ちよさそうに寝息をたてている。
　やれやれ。

　「紅葉ったら、起きて」
　ゆさゆさ揺さぶると、紅葉が目を開けた。ふわふわの髪、薄い色の瞳は家の誰にも似ていない。不思議な雰囲気が紅葉にはある。

　「ゆか」
　「ゆかじゃないわよ、お母さんが心配してる」
　「おかーさん？」
　寝ぼけている顔は妖精みたい。

　「おやつだって」
　「おやつ」
　急に目を覚ました。やっぱり獣だ。
　髪や服についた草を払いおとし、紫は手をつなぐ。

　「お母さんのとこに帰ろう」
　「うん、帰る」
　紫を見上げ、紅葉がにこっと笑った。そうするとほんとうに可愛くて、弟もいいなって思う。
　でも、妹だってきっと可愛い。

　「ゆか、あっち、おかーさん」
　「ほんとだ」
　庭の向こう、家のテラスで母が手を振っていた。
　「紅葉、お母さんのところまで競争しよっか。ようい、どん」
　「どーん！」

　手をつないでいるので、紅葉を置いていかないよう加減しながら走る。
　「ゆかりー、くれはー」
　母がふたりを、紫を、呼んでいる。

　「ゆかりー」

　母の笑顔と、名前を呼ぶ声は、いつも紫を幸せで満たしてくれる。
　お腹を押さないように気をつけながら、紅葉と一緒に抱きついて、紫は心から笑った。



　あたしの名前は、源　紫ゆかり　。

　弟がひとりいるけど、お母さんのお腹は今、赤ちゃんでまん丸なの。
　今度は弟かな、妹かな？

　お父さんと紅葉、小町さんと藤ねえと雀ちゃん、みんな待ってる。
　日高のお祖父ちゃんや叔父さん叔母さんたちも、楽しみにしてるんだ。


　我が家はもうすぐ、八人家族になります。
　お母さん、紫もたくさんお手伝いするからね！





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