ようやく分娩室に運ばれ、分娩台に載った。
　初音の痛みも、鋼の心配も最高潮だ。
　狼狽した鋼の声が、落合に詰め寄っている。

　「おい、はーちゃん！　先生よう、まだなのかこりゃ」
　「うるせえ棟梁、もうちょっとだ。おめえさんも三人の子持ちならわかっとろうが」
　「産んだのは俺じゃねえ、女房だ！」
　「わしが取り上げたんだからよう知っとる、おめえに産めたらひょっとこぴーじゃ」
　「はーちゃんはひょっとこじゃねえ！」

　こんなに痛いのに、笑わせられるなんて、勘弁して欲しい。お守り袋と、鋼の手、二つとも握りつぶしそうだ。
　そこへようやく銀が駆けつけた。

　「初音？　初音！」
　「おせえぞ銀！」
　「しょうがねえだろ、これでも精一杯飛ばしてもらったんだ」
　「パトカーじゃねえのかよ、根性無し！」
　「パトカー？　なんでだよ」
　「いいかげんにせんか！」
　父子げんかを封じてから、落合が銀を宥める。

　「いいタイミングだ。間に合ったぞ」
　「先生ほんとに？」
　銀の声には安堵と期待と怖れがあった。
　初音の手に飛びついた彼の手も、汗に濡れている。

　「遅れてごめん、大丈夫か？」
　「う、ん」
　「大丈夫に決まってんだろうが」
　「親父は黙ってろ」
　「なんだとお？　このすっとこどっこい」
　「だからいいかげんにせえ！」

　笑いながら苦しみながら、ふと気づけば、片側に銀が、反対側には鋼が居る。
　なんだ、初音は思った。私の願ったとおりじゃないの。融も、義母だってきっと。鋼がそう言ったんだから。

　「まっ、ちがいな、いわ、あっ」
　「がんばれ、初音！」
　「はーちゃん！」
　一気に緊張が高まったところに、だだだだーっとさらに人が増えた。叫び声も。

　「初ねえ？　初ねえ！　産まれたのっ？」
　「マジ？　どっちどっち？」
　「バカ野郎、これからだ、このとんちき夫婦！」
　「まだ夫婦じゃありません、って、産まれるとこ？」
　「うわうわうわ、乙女どーしよう」
　「鉄うるせえっ！」
　「兄貴が一番うるせえって。初ねーちゃん、がんばれ！」」
　「しっかり！」

　もうもうもう。大事な時だというのに、力が抜けそうだ。
　うるさくておかしくて、大好きな私の家族たち。
　だから大丈夫。これからもずっと。
　ねえ、お父さん？

　「今だ！」
　「んっ、んんんーーーーっ」


　「………っっぎゃああーーーっ」


　正真正銘、生まれたての声だった。
　それは生きる力に満ちていて、初音の耳に心地よく響いた。

　「おお、神社の鈴みてえに、めでてえ声じゃねえか」

　鋼の言葉が、神託のように聞こえる。
　誰かが昔、よく似たことを言わなかった？

　鉄がせっかちに聞いている。
　「どっち？　先生どっち？」
　「元気な女の子だぞ」
　「きゃあああ、女の子ぉーーーっ」
　乙女の絶叫に、鉄と鋼のわめき声で三重唱だ。

　「銀兄、やった！」
　「はーちゃん、でかした！」
　「あたし電話する！　光と小町さんと藤ねえと桐ねえと……」
　「葵には俺がするって」
　「俺はおふくろと日高組と、忠治とだな」
　「全員、外でしろ！」

　落合の一喝で、三人が嵐のように飛び出して行って、分娩室は急に静かになった。助産師に産湯をつかわされ、計測をすませた赤ん坊が、初音のお腹に戻されて、初乳を含ませる。

　「まーったく棟梁んちはうるさくてかなわんな」
　「にぎやかでいいですよ。ねえ？」
　落合と助産師が笑いあう。懸命に乳を吸っていた赤ん坊が、けぷっと乳首を離した。安堵と疲労でぐったりしながらも食い入るように、初音は見つめた。自分の中から生まれ出た、奇跡を。

　これが私の。
　私たちの、赤ちゃん。

　ずっと黙りこくっていた銀が、やっと口を開いた。
　「……驚いた。すっげえ元気だな」
　「だから言ったでしょ、私たちは大丈夫って」
　うなずいた銀が申し訳なさそうに言った。
　「絶対って約束したのにな。ついててやれなくてごめん」
　初音は彼を見上げ、首を振った。

　「ちゃんと来てくれたじゃない。産むときに手を握ってくれたわ。ねえ見て、こんなにちっちゃい」
　「ああ。ちっちゃくて、完璧だ」
　「お父さん、抱いてみる？」

　助産師に促され、おそるおそる赤ん坊を抱いた銀の顔が、昔の父に重なった。誇らしくて嬉しくて、泣きたいような気持ちとともに、初音の胸に焼き付く。

　不器用に体を揺らしながら、銀が初音に聞いた。
　「名前、あれこれ考えたけど、どうする？」
　「……鈴音ってのはどうかな」

　おそるおそる初音が言い出したのは、候補にはなかった名前だった。銀が不思議そうに繰り返す。
　「すずね？」
　「お義父さんが言ったでしょ、神社の鈴みたいにめでたい声だって」
　「……そりゃいいな」
　「ほんと？」

　うなずく銀に嬉しくなって確かめると、彼の後ろで、落合と助産師も同意してくれる。
　「うんうん、いい名前じゃねえか」
　「ほんと、可愛らしいのにしゃきっとして、いいわぁ」

　応えるように赤ん坊が泣き出した。
　あわてふためく銀に笑いながら、初音の目はじんわり潤んでいた。


　ありがとう、銀さん。
　ありがとう、お義父さん。
　小町さん、お父さん、光。日高のお義母さん、乙女、鉄くん。
　それからそれから。
　今日まで出会ったすべての人に、ありがとう。

　私たちに娘が産まれました。
　ようこそ、にぎやかで温かい日高家へ。
　ようこそ。


　朝の光の中、鈴のような声で小さな命が歌っていた。
　産まれたての、喜びの歌を。





　　　　　　　　　　　　　　　＜　Welcome　to　My　Family　／　end　＞