「小町さんたら！」
「鉄ちゃん！　大丈夫？」

空っぽの碗を持った彼の手に乙女はとりすがった。鉄が大きな目をぱちくりさせる。飛んできた初音が小町を叱りつけている。

「作っちゃ駄目でしょ。よそ様の家でなにやってんの」
「だってお味噌汁が欲しいって言うから」
「なんなんだ一体。頼んだのは俺だ、お袋さんを怒るなよ」

鋼が呆れた顔で言葉を挟む。
「だって、だから」
初音が言いよどむ間もなく、「あれ」と鉄が声を上げた。

「なんだろ、腹の具合が、、、いて」
「鉄ちゃん？」
「いて、腹いてて、ト、トイレー」

腹を抱えてよろよろとトイレに急ぐ鉄に、乙女はうしろから「死なないで！」と叫んだ。「殺すなーっ！」と返してくる元気はあるようだが、大丈夫でないのは明らかで。

「だから言ったじゃない！」
初音がまた小町を叱り「だってえ」と小町がすねている。
「おいおいおい、なにがどうなってんだよ」
とうとう叫んだ鋼に、乙女が申し訳なさそうに言った。

「小町さんの料理を食べると必ずお腹こわすから。鉄ちゃんにも言っといたのにもう」
「はあ？　なんか変なもん入れるのかい」
「失礼ね、美味しかったでしょ？」
「ああ、味は別におかしくなかったなぁ。どういうこったい」
乙女と初音が首を振る。
どういうことなのかこっちが知りたい。源家永遠の謎だ。

「とにかく、小町さんが作るものは食べちゃ……」
そこで乙女は気がついた。
空っぽの汁椀はふたつ、だ。
「お父さん、味噌汁、飲みました、よね？」
「おうよ」
あったりめえじゃん、と言わんばかりの調子で鋼がうなずいた。
いつもと同じ顔つき、顔色で。

「お腹、おかしく、ない、ですか？」
「いいや」
あっさり否定されて目を見張る。
信じられない。

「う、そぉ」
「ええ？」
「ほんとに？」
乙女に初音、小町当人にまで確かめられて、鋼がへんと鼻を鳴らす。

「自慢じゃねえが、俺の取り柄は大工の腕と丈夫な体だ。生まれてこの方、腹をこわしたことなんざ一度もねえよ」
「だって、でも」
「……すごい」

本当に平気らしいのを見て、乙女は初音と感嘆した。小町の作ったものを食べて腹をこわさなかった人は初めてだ。

「平気の平左衛門て奴だ。鉄はまだまだ修行がたんねなぁ」
「いやそういう」
「きゃー、鋼さんすてき！」
「おうよ」

抱きつかんばかりの小町に、乙女の顔が引きつる。鋼さんすてき？　なにこの親密さ。こたつで一緒に寝るとこうなるわけ？　乙女が、初音が、銀まで二人を凝視する。

そこに電話が鳴った。
鋼が真後ろに手をのばして受話器を取る。

「ほい日高、、、夕花か？」
「夕花？　夕花からなの？」
「もらったぞ、うん、うん、コチママもいる」
「夕花！」
奪うように受話器を取りあげ、小町が叫ぶ。
「どしたの？　雪がすごい？　うん、ちゃんと渡したわよお」
「おいおい、俺もまだ話が」

奪い合うようにして一緒に受話器に取りつく二人。もはや乙女はお手上げだ。初音も同じらしく、見合わせる視線の頼りないこと。銀が仲裁のように言った。

「……腹へった、俺たちも朝飯にしようぜ」
「そう、ね」
「初ねえ、お味噌汁捨てて」
「やっぱ捨てるのか？」
銀が微妙な顔で聞く。怖いもの見たさだろうか。

「捨てるわよ」
初音がばっさり斬り捨てると、乙女も同意する。
「捨てなきゃ」
「……捨てろぉおおお」
ようやく戻ってきた鉄がよろよろしながら呪いのように唸った。。

「鉄くん、大丈夫？」
「大丈夫じゃねえって」
「だから言ったじゃん。なんで小町さんに作らせるのよ」
「だってさあ、慣れた感じで台所に立つから」

「俺らを叩き起こした罰があたったんだろ」
銀が冷たく言い放つ。
乙女も初音とうなずいてしまった。

「俺のせいじゃねえだろーっ」
「はいはい鉄くん、まだ食べるの？」
「さっき食べた分出ちまったよ、食うに決まってるじゃん！」
「鉄ちゃん、汚い！」

吠える鉄を叱る間に、初音が味噌汁を作り直し始める。銀は茶碗にごはんをよそっているし、居間では鋼と小町がまだ受話器に頭を寄せ合っている。

なんだろう。なんだかとっても、家族っぽい。
乙女が思った時だ。がらっとまた引き戸が開いて、今度は。

「ただいまぁー、ってなに、お客さん？」
「……なんや乙女のブーツに似とるけど、って小町さん？　なんでおるんや！」
「うそ」
「うるさいわよ、光！」
「黙ってろ、葵！」

溢れるほどの人数に驚いた上に、両親に怒鳴られるとは。
玄関で茫然自失する兄と、もうじき姉の二人に同情する。

でも。
これじゃほんとに、家族だわ。

振り向くと初音がすでにグリルに干物を二枚、銀もごはんを追加していた。鉄まで兄姉のために汁碗を取り出している。

もう、笑うしかない。


滅多にない積雪で冷え込んだバレンタインの翌朝。
期せずして日高家と源家、八人の家族が勢ぞろいした家は、うるさいほどにぎやかで温かで、乙女は笑いが止まらなかった。





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