年明けの仕事場は正月気分がなかなか抜けなかった。
週半ばが仕事始めだった今年は金曜と言っても３日しか働いてないから無理がないのか、けじめがないのか。

それにしても女を重ねて「姦かしま　しい」とはよく言ったものだと思う。


「光の君が戻ってくるんだって」
「その噂ホントなの？　あたしまだ会ったことないのよぉ」
「私だってぇ」


社内で唯一人の秘書である葵。他所から引き抜かれた経緯やら何かと目立つ容姿やらで、同性にはあまり好意を持たれてない。

特に苦にもしていないが必要以上にもめるつもりもなく、何かとにぎやかな給湯室もいつもは素通りと決めているが、今朝はあまりにもうるさかった。足を止め、注意せざるを得ないほど。


「ずっと大阪だったしね」
「そうそ・・・きゃ、　日高さん」

「少しトーンを落としたら？　向こうまで聞こえてるわよ」


言われた方も自覚したらしい。バツの悪そうな顔で素直に静まったので葵はすぐ立ち去ろうとしたのだが。

「あのう」

給湯室にいた全員に取り囲まれて驚いた。え。


「光の君は異動なんですか？」
「辞令は出てるとか」
「年明けから本社だってもっぱらの噂で」
「ホントですよね？　ね？」


どんな窮地も冷静に対処する有能な社長秘書をこうもあっさり追い詰めるとは侮れない。葵は頭の隅で感心する。
それはともかく。

「光の君って・・・・誰？」

葵のもらした一言はさっきのうるささが比にならぬボリュームでの非難を引き起こした。


「えー？」
「まさか。しらないとか？」
「葵の上が」
「信じらんない。仮にも秘書なら」

カチンときた。言ってくれるじゃない。


自分が社内で『葵の上』と呼称されているのは承知しているが、あくまでも仇名で隠語。自分では決して好きな呼ばれ方じゃないそれを、面と向かって言い放たれるのは不愉快だ。

「そう。社長の秘書である私が知るべき重要事項なわけね。勉強不足で申し訳ないわ。その光の君とやらについて是非ご教授願えるかしら？」


丁寧な言葉とは裏腹の目つきと声音。向かいのさえずりはピタリと止まった。交わされる眼と眼が語る非常事態。


「・・・いえあの」
「たいしたことじゃ」
「そうです。葵の・・・日高さんはご存じなくても」
「あ、たしたちお茶入れないと」


そそくさと逃げ去る背中を見送り葵はフンと鼻を鳴らした。

どうせゴシップなんでしょうけど一体誰が来るって言うのよ。超絶美形かカリスマエリートか。
大体光源氏なんて究極の女たらしじゃないの。ハーレム作るわ幼児趣味だわおまけに生粋のマザコンで・・・　やだ。この認識は問題かしら。


我に返って自問しつついつもの動作で時計を見れば始業間近。葵はあわてて社長室へと向かったがしかし。


今日に限って誰も彼もが葵を呼び止める。それが全て『光の君の異動云々』がらみではたまったものじゃない。第一時間がない。

「ごめんなさい。急ぐので」

５人目を有無を言わさず斬り捨てた葵は、最上階の仕事場へと急行した。



まさかそこに噂の当人・究極の女たらし（？）が待ち受けていようとは、夢にも思わぬ葵だった。