盛夏。

子宮筋腫の手術を終えた母は無事に退院した。だからといってすぐ仕事に戻れるわけではない。母はそのつもりだったようだが、なんだかんだで三週間もベッドに横になっていたら、本人が思うよりもずっと身体は衰えている。

「無理だって」
「平気だよ」
「口ばっかり。ほら危ない」
「うるさいったら」

なんでも自分でやろうとしては、身体が追いつかずしゃがみ込んでしまう。それが悔しくて悪態ばかりついてみせる。子供みたいな母にこっちが親のような気分になりながら、ふたりで口げんかばかりしていた。昔と同じ。

「やだねぇ年って年じゃないのに」
「そう？　五十過ぎたら」
「冗談じゃない、まだ四十代だよ」
「そうだっけ」
「わかって言ってるんだろ」
いや、昔に比べればどちらも険がない。


母の店の女の子たちは退院後もちょこちょこ現れた。店を終えての明け方だったり店に入る前の夕方だったり。時間はでたらめでしかも大人数。ショーコはそのたび母に言われ、下宿屋のまかないみたいに朝食夕食を作る羽目になった。

面倒半分あきらめ半分。それでもお互い慣れて前ほどの疎外感もなく、おしゃべりに混じることもあった。母とふたりきりになってもかつて苛立ちばかりだったのとは雲泥の差。慣れない状況につい憎まれ口を叩きたくなる。

「なんだか初めて母さんと暮らしたみたい」
「皮肉？」
「本音。だからってもう病気はやめてよね」
「なりたい人なんかいないよ」

「メアドが役に立ったのも初めてだったし」
「そうだあんた、住所書いてって」
「住所？」

「あんたの知り合いにもお見舞いもらったろ？　お礼も送らなきゃ。お酒とか果物とかお菓子とか、何がいい？」
「うーん」
「とにかく住所」

紙とボールペンを突きつけられた。そういえばエヴァやヒデミにおみやげ頼まれてたっけ。買わなきゃなぁと思いつつ、しぶしぶショーコはキングのマンションの住所を記した。

「あんたが借りてる部屋？」
「ちが、う、けど」
「……住んでる人の名前は？」
「部屋番号で届くよ」

「名前」
「…コドウ」
「コドウ？　なんて字なの」
「知らない」

ほんとは知っている。太鼓の鼓に食堂の堂。鼓堂。マンションの郵便受けに小さくネームが入っている。名字だけ。

「ちょっと。大丈夫なのかい」
「何が」
「あんたの彼氏。危ない人じゃ」
「まだ彼氏じゃないもん」
「はあ？　ならなんだっていうのさ」
「あたしが初めて、本気で好きになった人」

自分で言ったくせに照れて横を向く。じっとショーコをみつめた母は「ふーん」とそれだけですませてくれたので助かった。


そんなこんなで退院後も一ヶ月そばにいた。戻る気になったのは母が日常生活に支障なくなったのを見届けてからだ。実際は二週間足らずで帰れコールをくらっていたのだが、口に身体が追いつくまで念には念を入れた。

母が仕事に復帰する日にショーコも切符をとった。朝からそわそわと支度しながら母はショーコを追い出しにかかる。

「早く行っちゃいなって」
「なによそれ。感謝の言葉はないの」
「ない、あっても言うもんか」

「……かっわいくない」
「なんだって」
「耳だけは達者でなにより」
「ありがと」

口げんかの言葉に棘は潜んでいなかった。自分が変わったのか母が老いたのか。それとも。

「年とってからの病気は続くって言うし、ほんとに無理しないでよ」
「年寄り扱いはやめてってば」
「確実に年は取ってるんだし」

「そうそう病気ばっかしてたまりますかって。神社でお払いするから」
「……運も逃げそう」
「そんでもってあんた、年に一度くらいは顔見せなさいよね、彼氏も一緒に」

突然言われてショーコは眼を白黒させた。溜飲を下げた顔の母が憎たらしい。あかんべにもあかんべが返ってにらみ合って。


そんな風に別れるのも自分と母らしい気がした。