「ハロウィン？」

キングに聞くまで、ブーケでイベントをやってるなんて、ショーコは全く知らなかった。それにしても。

「ハロウィンになんでケモノ？」
「男はみんなケモノだからとさ。エヴァの考えることだからな」

それで納得してしまうのだから、エヴァってすごい。
改めてショーコは思う。

「基本はコスプレだ」
「こすぷれえ？」
「というより仮装か」
「コスプレでケモノ？」
「なんでもいい。イヌネコトラウマ、ケモノにならないとブーケに入れない」

意味がわかりづらい。
でもおもしろそう。

「どんなパーティーなの？」
「さてな。行ったことはない」
「……なんで？」
「趣味じゃない」

確かに、とショーコはうなずいた。
コスプレしたキングは想像できない。

「エヴァには散々イヤミも言われたが、勘弁してもらってる」

何事も余裕を持って楽しむキングにしては珍しい。よっぽど行きたくないんだなとおかしくなる。同時にあれ、と思う。

「行くつもりないんでしょ」
「ああ」
「なのにどうしてその話してるの？」
不思議そうに尋ねるショーコに、キングは眉を寄せた。

「噂を聞いた」
「なんの？」
「ハロウィンのイベントにスペシャルなゲストを呼ぶつもりだとか」
「それってキングのこと？」

スペシャルなゲストなんて、ショーコは他に思いつかない。
彼以外でスペシャルと言うからには。

「ゲストが何かするのかな。芸とか」
「一芸ですめば心配しないが」
「ふたつみっつ芸がいるわけ？」
真顔で聞くとキングがのどを鳴らした。サングラスに隠れた目が笑っているが、ショーコには何が面白いのかちっとも分からない。

「とにかく、月末はブーケに近づくなよ」

留守するからといって、キングがショーコにどこそこへ行くな、なんて言うことは皆無に等しい。ショーコはキングの顔をまじまじと見た。

表情を出さない彼は閉じた本のようだ。通った鼻筋を真横に区切るサングラス。その下の瞳の色を知っていることに安堵を覚える。同時に不安もある。幸せと自信は必ずしも比例しないのが問題だ。

「聞いてるのか」
くいっとキングの手にあごをとらえられた。あわてて意識を戻す。
「聞いてるよ」
でも好奇心は湧く。いったいどんなパーティーだろう。そこに釘を刺すように額がはじかれた。

「いたっっ」
「わかったな」
「わかったけど、痛い」
きっと赤くなってる。指先でこすりながら恨めしげに見上げたら額にキスされた。傷をついばむみたいな優しさにショーコは折れた。

「わかったから、早く戻ってね」

返事のように今度はちゃんと唇が触れ合った。
口ひげの感触が名残惜しかった。





ブーケについて、エヴァ以外に聞くとしたらヒデミしかいない。
ショーコは早速ハロウィンについて尋ねてみた。

「そうねえ、すごいかも」
「どんな風に？」
「盛っちゃうのよ」
「さかっ……？」
キングもそんなこと言ってたような。目を丸くしたショーコが赤くなると、ショーコの髪を整えながらヒデミが笑う。

「もともとハッテンバよ？　イベントがからむと勢いもついちゃって『相手を捜そう』フェロモンが垂れ流し」
「そ、そうなの」
ショーコの狼狽にかまわず、ヒデミがはさみを天井に向けた。

「そういえば、あたしも噂を聞いたかも。エヴァが何か企んでるって」
「企む？　何を？」
「さあ。ハロウィンのイベントがらみでしょうね」
「ヒデミさんは行くの？」
「やーだぁ、ひとりじゃ危ないし颯を連れてったらもっと危ないもの。仕事に励んで、その後は颯とデート」
「あ、はあ、そう」
「それにしても」
はさみをブラシに持ち変えたヒデミの口調が変わる。

「キングがそんなこと言うなんて、珍しいわね」
「うん」
同感だったので素直にうなずく。すると鏡越しにヒデミがからかった。

「キングもあれね、すっかり過保護」
「は？」
「心配しすぎ」
「まさか」
鏡越しにふっとほほえむヒデミは、とても優しい顔だ。

「エヴァはそりゃあキングが大好きだけど、あんたのことも気に入ってるのに。わかってないんだから」

ヒデミの言葉はなんだか唐突で、ショーコは曖昧にうなずくことしかできなかった。





あっと言う間に月末になった。キングは出かけたきりだ。そろそろ戻ってもいいのに。珍品堂の書棚に挟まれ、リズミカルにはたきを動かしながらショーコは思う。

外から見ると古めかしく今にも潰れそうに見える「珍品堂」の、店内は実はハイテクだ。書棚は可動式で空調も兼ね備え、古書稀覯きこう　本によりよい状態を保っている。それでもほこりは舞い落ちる。日々はたきをかけることの大切さを、教えてくれたのは宝円だ。

「同じ事を繰り返すのが一番、そういうこともあるんじゃ」

宝円の言葉は時に、話しているそのこと以上に何かを語っている気がする。年の功ってああいうことかな。手を止めてショーコが考えた、そのときだった。

バンと扉が開いてエヴァが現れた。その勢いに後ずさる。

黒いローブととんがり帽子はハロウィンにふさわしい魔女の出で立ちだ。黒い袋を持って肩にはホウキまで担いでいる。後ろからついてくるのはタキシード姿の、イヌ？　イヌがタキシード？　やっぱり仮装？

こっちの混乱には頓着せず、飛び込んできたエヴァは嵐のようにショーコに襲いかかった。

「キングが留守よねぇ？　ヒマよねぇええ？　今夜うちに来なさいい、ぜぇええったい来なさいぃい。いいわねぇええ」
「へ？　あの、でも」
「これ着てくるのぉ。わかったぁああ？」

押しつけられた袋の中身を確かめる余裕もない。いつもの倍の目力で迫られたら、キングの注意を覚えていてもうなずくしかあるまい。

「来なかったらひどいわよぉおお！」
捨てぜりふを残して去っていくエヴァに、従いながらイヌが囁いた。
「来ない方がいいぞ」

聞き覚えがある声。もしかしてアダム？　確かめる間もなくイヌも出ていってしまった。残されたショーコはしばし立ち尽くしてから、押しつけられた黒い袋をのぞき込んだ。

「ドレスと、ヒツジ？」

赤いミニドレスはふわふわでリボンが付いている。赤いパンプスもジャストサイズ。ヒツジの耳と角のついたふわふわ帽子まである。

ヒツジにドレス？
これ着て来いって、ブーケに？
なんで？


『月末はブーケに行くな』

釘を刺したキングは出かけてしまうと糸の切れたタコだ。仕事だからしょうがない。でも寂しい。今までずっとそんな時間を埋めてくれたのがヒデミやエヴァ、そしてブーケだった。そのブーケは繁華街の中でも特別な店だ。いろいろある理由をひっくるめて言えば、変わってるから。

初めての客はまず驚く。ゲイのハッテンバと聞いていたのにとびきりの美女に出迎えられ、その美女が店主で強烈な人物ときている。いろんな意味で外柔内剛の彼、じゃなくて彼女を受け入れられない人もたくさんいるだろう。店主もまた客をえり好みする。気に入らない客は追い出し、塩までまかれる。

ならどうして自分は受け入れてもらえたんだろう。


考え込んでいたショーコは、珍品堂の大黒柱に鎮座している大時計が鳴って気づいた。７時。閉店時間だ。

「うそ、もう？」

宝円は商店街の寄り合いで出かけていて今夜は遅くなる。ヒデミに相談しようと電話してみたが、忙しいのか出てくれない。そういえば今夜はデートと聞いた。

帰ってもひとりだし。
ブーケに、行ってみようかな。

キングとの約束は気になったが、エヴァ直々のお達しだ。断るなんてそれこそキングがいなければできはしない。つまり仮装大会よね。集まるのはゲイばかり。ドレスのあたしを相手にしたがる人もいるわけないし。

きっと大丈夫。


好奇心に負けたショーコは、ドレスに着替えヒツジ耳角の帽子をかぶると、無謀にもひとり、ハロウィンのブーケに向かったのだった。





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