苦しみには慣れていた。
息が止まるかと思ったことも一度や二度じゃない。

でもこれは違った。
喜びが待つ苦しみなんて、初めて。


何かが解き放たれていくのを、すみれは感じた。
はあーっと全身から力が抜ける。

「おめでとう、男の子ですよ」

看護士さんがにこにこと、小さなおくるみからのぞかせたのは。

くしゃくしゃの真っ赤な顔。
申し訳程度の髪。
蛙みたいに縮んだ手足。
握りしめている手。

なんて小さな、手。


命をはぐくみ、産み出すことなど、自分にはないと思っていた。
縁のない、幸せだと。

「がんばったな、おかあさん」

おくるみを受け取った彼の嬉しそうな顔。
幸せをくれたひとり。
それから。

のばら。
ああ、のばら。


今頃アメリカで、ジリジリしながら知らせを待っているだろう。
帰国したら大喜びしてくれるだろう。
声が聞こえる気がする。

『素晴らしいわ、すみれ』


すばらしいのはあなたよ。
私の永遠のサンタクロース。

無償の愛を、私はあなたに教えてもらった。
返せないほどの。

返すことができない。

ごめんね。
ごめんなさい。


「ほら、おかあさんですよ」

枕元に置かれた小さな命。
この子に無償の愛が注げるのは、あなたが教えてくれたから。
あなたが私に与えてくれたから。

握りしめられた手に触れる。
涙がふつふつと湧いて、頬を伝う。


ありがとう。
ありがとう。

どうか私を許して。
愛して。

愛しているわ。
あなたたちを。





涙を流す妻と我が子をみつめ、アラシは思った。

たくさんの命が失われる世界と、たくさんの命が産まれる世界。
二つが同じ世界であることの不思議。

けれど今は、ようこそ、命。
みんなが君を愛している、新しい世界へ。

祝福を。





夜明けの空に、風が立った。





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