「質より量、だったっけな」

ここは、フローラルデザイン　Snow　Rabbit のワンフロア、エスコートスタッフのオフィスだ。夜も遅い時間、パソコンの画面に映し出された先月にも増して真っ黒な予定表を眺めながら、ぼんやりとつぶやいたのは右生だった。

三月に入ってからもひなまつり、卒業式、それからホワイトデーと行事には事欠かず、当然のごとくエスコートの予約は引きも切らない。バレンタインの後も一向にヒマなしなのは商売としては有り難く思うべきだろうが、身体も思考も忙殺されて余裕がなさすぎだ。


「同じ手は使えねえしなぁ」

ぶつぶつ言いながらマウスを動かす右生の、目下の悩みは近づくホワイトデーだった。お返しするだけなら簡単だが、やられっぱなしは性に合わない。それなりにサプライズしたいが何しろ忙しすぎる。
「値段が高けりゃいいってもんでもないし」

パソコンを前に捜し物といえばインターネットだが、どれもいまいちぴんとこなくて鼻に縦皺がよる。煙草が吸いたくてもここでは吸えないし動くのも面倒だ。苛立ちながら適当にサーフィンしていた右生の手がふと止まった。
「これなら」

サイトを開いて見入った右生がうなずく。
「量より演出、かな」

楽しげに笑った笑みはいかにも彼らしい不敵さがあった。





閏うるう　年でない限り、二月と三月のカレンダーは日数をのぞけばそっくり同じだ。つまりバレンタインが土曜ならホワイトデーも土曜になる。花の注文が一段と増えたのはそのせいかもしれない。

ホワイトデー当日、朝からスタッフは総出でアレンジメントにかかっていた。朝一番の発送にそなえ徹夜組までいたほどだ。機械作業でないアレンジメント、最後は人海戦術になる。代わる代わるの食事タイムも今日ばかりはまとめて買いだしたファーストフードに休憩所でかじりつく慌ただしさ。忙しく立ち働く仲間の横では食べた気もしないが仕方ない。


「あー、殺人的」
「ほんと」
「これがクセになるから怖いよ」

「そうなんですか？　麻薬？」
「もっと強烈」
「げーー」

疲れはあってもハイテンションで騒げるのは、会社もスタッフもまだまだ若く体力的にも余裕があるからだろう。


「もうちょっとよ、がんばろう」
「彩芽さん、甘いです。卒業異動はこれからですって」
「あたしが言ったのは今日の話。明日は明日の風が吹くわよ」

「お、かっこいい。風と共に去りぬ、でしたっけ」
「ビビアン・リー！」
「どうせならクラークゲーブルにしようよ」
「……みんな。年、サバ読んでるでしょ」

アレンジメントに今集まっているスタッフは男女を問わず何故か映画、それも古い恋愛映画好きが多くて何かというと話題がそっちよりになるのがおかしい。がやがやと笑いながらも昼食を終える。ハンバーガーの紙包みも人数がいると大量だ。なるべくコンパクトにまとめようと彩芽が四苦八苦していた時。


「ね、あれ」
「きゃー、素敵」
「天川さん、かっこいいー！」

天川？　どっかで……って。　バッと振り向いた彩芽は見慣れているようで見慣れない姿を眼にした。右生だ。確かに右生なんだけれども。


薄茶の髪はこのところ美容院へ行くヒマもなくて伸びっぱなし。とうとう彩芽がカットさせられる羽目になった。失敗するから嫌だと言ったら絶対失敗しないやり方とやらまで伝授されて。確かに、前髪を横一文字に切るみたいな荒技をしなければ結構ごまかせるものだが、それでも切るのはせいぜい毛先のみだ。

ぼつぼつ肩につきそうな長さの髪が、朝見たのとはかなり違ってワックスで綺麗に整えてある。このキメ具合はかつてのホスト時代に近い。スーツはいわばエスコートの制服みたいなものだが、いつもはもうちょっとラフに着崩しすのが右生なのに。三つ揃いなんて持ってたんだと感心する。

ネクタイにタイピン、カフスにポケットチーフ、足元の革靴に至るまでキメキメだ。フル装備？　なんで？　エスコートのイケメンを日頃見慣れているスタッフ達まで、色めき立って大騒ぎしている。

カツカツと彩芽の前まで来た右生は、いまだ紙くずを手にぽかんとする彩芽を見下ろすと、いつものからかうような笑みではなくて厳かに流れるように手を差し出した。その顔から手へ。考える前に指をあずけた彩芽をそっと引いて立ち上がらせた右生は、優雅なお辞儀をみせた。


「柚池彩芽さまに、ホワイトデーのお届け物を」
「……へ？」
「どうぞ」

背の高い彼の、しなやかでマジシャンみたいな手つき。どこからともなく現れたそれにわあっと歓声があがった。彩芽は声も出ない。


ひと抱えもある花束は虹色に見えた。とはいえここは花屋だ。どれほど華やかでもそれだけなら驚きは少なかったろうが、虹色の花はひとつひとつが甘く口に出来る、いわばキャンディーフラワーだったのだ。

赤白青黄ピンクにオレンジ。いかにもキャンディーぽいキャンディーから、袋包みされたクッキーやマカロンにマシュマロ、果ては金平糖が星形の袋でぶらさがったりしている。よくよく見るとビーズで作られた造花まで混ざっていたり。女性スタッフからは羨望の嵐。


「素敵ー」
「見てみて、あれスワロフスキーじゃない？」
「マカロン食べたい」
「でかっ」
「……高そ」

そりゃもう大騒ぎのど真ん中、ただただ茫然としていた彩芽は、右生の彼らしい悪戯っぽさ全開の笑みに気づいてようやく声が出た。

「……ごい。こんなの初めて」
「そうか」
「キャンディーフラワーってもっと小さいの、結婚式とかで配るアレしかみたことないよ」
うんうんと皆がうなずくと右生が少し得意げに同意する。

「それそれ。たまたまサイトをみつけてさ。無理言って特注したんだ」
「特注？」
「大奮発。せっかくだからスタッフみんなでおやつにしろよ」
「いいの？」
「あ、でも」

彩芽が抱いている花束の中から、右生が大事そうに抜き出したのはバラだった。薄いクッキーの花びらが幾重にも重なり、中央にルビーのようなキャンディーが光っているそれを、これもどこから取り出したのか鮮やかな緑色した薄手のスカーフで包み込む。一輪の花束。

「これは、おまえのだから」

身をかがめて彩芽に握らせるとそう言って頬に口づけ。キャーッと再び上がった悲鳴の中、再び鮮やかなお辞儀を残して彼は消えてしまった。まるで一幕劇を見たような。スタッフだれもかれも興奮冷めやらない。


「やだー」
「もう、彩芽さん愛されてるんだから！」
「うらやましいー」
「……同じ男とは思えねえよ、あの人」
「ドラマかアニメのキャラだよな」


「しっずかにしなさいーつ！！！」

響き渡った怒声に全員がぎょっとふりむいた。言わずと知れたSnow　Rabbit　オーナー ・ 宇佐見真白。

「いつまで油売ってんの、一年で五本の指に入る忙しい日に！」
「うわっ」
「やべえ」
「すいませんっ」
「今すぐ！」

まさしく蜘蛛の子を散らすようにスタッフはあたふたと仕事場へ逃げていく。彩芽はひとり花を抱えておろおろしていた。


「真白さん、すみません。仕事中に」
「忙しさを逆手にとってこれだものねえ……彼らしいけど」
「ほんとにすいません」
ぺこぺこと謝る彩芽に苦笑した真白は、抱えている花束に目を留めた。

「でもこれ、使えるかも」
「は、い？」
「右生にどこの店か聞いといて」
「はあ」

さすがオーナー、転んでもただでは起きない。翌月からSnow　Rabbitのメニューに「キャンディーフラワー」が加わることになったのだが、それは別の話。





夜更け、右生が帰って来たのは日付が変わる頃だった。へろへろに疲れ切っているくせに、ポケットから取り出してみせるキャンディ・ボンボン。彩芽が呆れて笑い出した。

「昼間といい、まるで手品師ね」
「おまえだけの、な」
「キザなんだから。……でも嬉しい。ありがと右生」

真夜中。静かに熱いキスを交わし、寝酒代わりにと冷蔵庫から飲み残しの赤白ワインをつぐと、ボンボンを肴にふたりは乾杯し合った。スタッフと分け合ってキャンディフラワーはすでに影も形もないが、あの一輪だけはキッチンカウンター、細口のガラス瓶にさしてある。


やがてクッションにもたれ、寄り添ってうたた寝を始める二人。
マジシャンのくれたキャンディ・ローズが微笑むようにそっと、揺れた。





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