「久しぶりだな」

記憶と全く変わらないキングの姿に、右生は驚いて立ち止まった。狭くもない東京でこんなこともあるのか。


宵の口どころか、長い夏の陽が沈んだかどうかぐらいの時間だった。右生の仕事は時間通りに終わったが、このところ忙しい彩芽が帰ってくるのは数時間後だろう。ひさしぶりにちょっと飲むかとひとり繁華街に出てきたのは最近では珍しいことだった。色々な意味でようやくゆとりができたのかもしれない。

どうせなら新しい店を開拓しようと、良さそうなＢＡＲを見繕って山勘で踏み入ったというのに。カウンターでこちらを向いた男に見覚えがありすぎた。あちらも驚いたに違いないのだが、それを見せない余裕が相変わらずで、嫌になる。


「座れよ」
隣の席を眼で指し示されて、右生は仕方なく腰を下ろした。逃げるのもいまさらだ。

「彼女は元気か？」
「毎月。つい先週も会ってるくせに」
呆れた声にキングがクッと笑う。
「仕事だ。妬くな」
「……勘弁してくれ」

さすがの右生もキングにかかっては形無しだ。ガックリした彼の前に、バーテンダーがグラスを置いた。注文した覚えはないからキングだろう。シングルモルトをツーフィンガー。

「好きだろう？」
「なんで覚えてるんだか」
「呆けるには早い」

一度、彼の頭の中をのぞいてみたいと右生は思った。店をやめたホストの酒の好みまで、即座に思い出せるとは。流行りのゲームなら脳年齢二十歳以下か。こないだ、店のスタッフに押しつけられて試した時の、自分の脳年齢が過ぎって眉をしかめる。


「エスコートサービス」
前を向いたままで話しかけるから一瞬聞き損ねる。
「うまくシステム化できそうか」

多分、真白に聞いているのだろうが、ちょっとは見栄も張らせて欲しい。右生は平然と応える。
「もちろん」
「楽しみだな」
何が？　何を？　聞くのは癪だから黙ったものの嘆息になった。

相変わらず隣の男は自分にとってお釈迦様だ。手のひらだけで果てしない広さ。何を考えているのか予想はつかず。でも、見上げる存在で在り続けることにホッとしているのも確かなのだ。


「時間だ」
立ち上がったキングが差し出すのは、小さな箱が入った紙袋。
「彩芽に土産だ。俺の名を出すことはない」

それだけ言って行こうとするからあたふたと問う。
「おい。彩芽にってどうして」
偶然の出会いのはずなのに。右生の戸惑いをキングはただ笑った。
「勘だ。誰かに会いそうな気がしたのさ」

見送った右生がハッとしてバーテンに問う。案の定、飲んだ酒は支払われた後だった。鮮やかに全て取り仕切られたようで、美味い酒もなんだか釈然としない味がした。



その夜遅く。
シャワーから上がった彩芽が、嬉しげに開いているのはあの土産だ。キングにあったことは言ってない。
「わー、綺麗」

彩芽の歓声に右生もうしろから首を伸ばすと和菓子が見えた。透き通った葛とあんの間に星のように散りばめられているのはフルーツらしい。
「今日七夕だったのよね。店でも笹が引っ張りだこだった」

口の中で呟く。
チキショウ。あの人はこれだから。


「ありがと右生。一緒に食べよう？」
うれしそうな彼女に水を差すのも大人げない。来年の七夕は絶対うろつくまいと思いつつ、葛あんの優しい甘みについ微笑まされてしまうのが悔しい。



お釈迦様に勝てる日はまだまだ遠い、それこそ星の彼方。
現実は厳しいけれど、今に見てろ。

七夕の夜。
曇り空を見上げ、密かに右生は雪辱を誓うのだった。




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