燃え上がった熱の名残りがけだるい。

漂いながら、右生は天井を見上げていた。
彩芽の規則正しい寝息も、眠りを誘わない。


今夜のセックスはいつもと違った。

どこがどうとは言いがたい。強いて言えば感傷的だった。呼び覚まされた過去によって、現在いま　がとても貴重に思えた。そのせいだろうか、行為は深く互いを確かめるように丁寧になり、より濃密で激しかった。

心も体も満足しているし、彩芽が隣ですやすや寝付いたのに、眠りはなかなか訪れようとしない。


昔が心でさんざめくからだ。
過ぎ去って忘れがちな、昔が。


彩芽が寝返りを打って背中を向けた。枕を抱え込んで背中もお尻も露わだ。残暑のせいでエアコンをかけている室内は涼しい。

「風邪ひくぞ」
「うーん」

足元で丸まっていた毛布を引っ張り上げてやると、寝言をつぶやきながらくるまった彩芽が、にんまりと笑った。満腹の猫みたいだ。吹き出した右生は眠るのをあきらめ、ベッドをそっとすべり出た。


開けっ放しだった寝室のドアをそっと閉めた。キッチンの灯りをつけて冷蔵庫から麦茶を取り出す。平日は水にパックをつけるだけだが、休日は彩芽がちゃんと茶葉を煮だして冷やしてある。

「この方が美味しい気がするの。ただの気分かもしれないけど」

伝えたことはないが右生もそう思っている。だからって忙しい平日にわざわざすることもない。たまだから美味しい贅沢でいい。

グラスに注いだ麦茶に氷。ダイニングテーブルに置いて椅子を引いた。汗をかいたグラスの琥珀色。ウィスキーみたいだと思っておかしくなった。かつての自分なら間違いなく酒だった。中身が麦茶なんてあり得なかったろう。


あの頃は浴びるように飲んでいた。

体質だったのかどうか、どれだけ飲んでもつぶれることはなかった。その気になればいつまでも飲んでいられた。

心も体も苛めていた。未来なんて考えなかった。
明日が来ても来なくてもどうでもよかった頃。


いつもの癖で灰皿に手を伸ばした。煙草の箱にライターも乗っている。これだけは昔と同じと思いながら、何気なくライターをカチッとつけた。

長く延びる炎。

もう一度。
もう一度。

そこで、記憶がはじけた。


いつだったろう、彩芽との水曜の夜。ベッドに彼女を残して、やっぱりライターをいじっていたことがある。闇の中で繰り返し。

点つ　けて消す炎に何も映していなかった。心を炙あぶ　るだけ。
点けるたびに心に黒い焼け焦げが増えた。
夢も希望も持っていなかった。


右生の目は過去から現在いま　へさまよい、カウンターに飾られた曼珠沙華に行き着いた。

あの時、彩芽に尋ねられた。何を。
確か。


「……具合でも悪いの？」


ふりかえると寝室の戸口に彩芽が立っていた。寝間着代わりのＴシャツは右生のを奪い取ったものだ。ゆらりと傾いて寝ぼけてるんだろうか。

「ねえ、どこか痛いの？」
「なんで」
「右生」

違う。ひどく心配そうな。
不安そうな顔だ。

「痛い時は痛いって、ちゃんと言って」


一気に甦る彼女の声。

『痛い時、痛いって、言えたの？』

そうだ。
あの時もそう、聞いた。


右生はライターを置いた。広くない部屋だ。三歩で彼女にたどり着くと両手で抱きしめる。温かな体にホッとする。

「曼珠沙華でいろいろ思い出しただけさ」
「……ほんと？」
「痛いわけないだろ」

素肌にＴシャツ一枚。頼りなく見える女が自分をどれだけ変えたか。今、この瞬間も彼女のいる幸運に、自分がどれだけ感謝しているか。

できれば知らないで欲しい。
ちっぽけな男は本音をジョークにして隠す。

「身も心もおまえでいっぱいなのに」


瞬間湯沸かし器みたいに真っ赤になった彼女の、唇を甘く奪った。さっきまで愛され寝入っていた彩芽はすぐさまとろける。足に力が入らなくなって右生にしがみつく。かろうじての抗議は。

「バ、カ」
「ん？」
「すけべ」
「そこが好きだろ」
「……好き」

正直な本音に結局負ける。
よろめく足を横抱きにさらった右生は、口づけながらそのまま寝室に入ってドアを閉めた。ささやきと行為の秘め音で満ちる部屋。


誰もいなくなったキッチンのカウンターに、曼珠沙華の広げた花冠がいつまでも天を指していた。


今までも、これからも。
愛する人よ。
あなただけ想ってる。





　　　　　　　　　　　　　　





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜　my　love　／　end　＞