自分が小さい頃だって、あかぎれの手をした子は見なかったよなぁ。

指先から手のひら、手の甲まで。彩芽の手は切り傷に擦り傷の上、あかぎれだらけだった。右手の親指と中指は爪先に絆創膏が巻いてあるし、左手にも三カ所貼ってある。せっかくハンドクリームを塗ってやろうとしても、塗れない部分が多くてどうしようもない。


「おまえ、傷多すぎ」
「しょうがないでしょ。だから自分でするって言ってるのに」

自分たちの部屋だ。人目はないといえ、小さなテーブルに向かい合って手を握られるというシチュエーションは落ち着かないらしい。逃げる気満々の彩芽の顔を右生はじろっとにらんでやる。


「言ったそばから忘れるから俺がやってるんだろ」
「職業病だもん」
「なおさらだ。ちゃんと手入れしないとひどくなる一方じゃん」

形勢不利なのはわかっているので、ううと恨めしげに唸って彩芽は黙る。その間も絆創膏をよけるようにして、右生は丹念にクリームをすりこんでいく。


花屋は水仕事が基本だ。わかっちゃいるが、こんなに手が荒れるとは思わなかった。葉やトゲ、はさみや包装紙で傷も作る。夏場はそれほどでもないが、冷える上に乾燥する冬はてきめんだ。


「水の方がまし。お湯を使う仕事はもっと油分を取るわよ」

昼間、たまたま彩芽のいない作業場で話を振ったら、真白にあっけらかんと笑われた。そういう当人も陣頭にたって花を捌くので指先手先はボロボロのくせして。

「これは勲章。仕事してるって感じでしょ」
「あ、わかりますそれ」
「働いてる自分がえらいなって思うんですよね」
「そうそう」

女の子ばかり集まって気炎を上げ始めるので、右生は早々に逃げ出したわけだが、なんとなく思い出す。


「勲章か」
「なに？」
「この、あかぎれ」
「あかぎれが勲章？　女性としてはどっちかというと恥でしょ」
「恥？」

真逆な意見に驚く右生だが、彩芽はそれこそあっけらかんとした顔で、右生の手指をうらやましそうに見遣る。

「右生ってきれいな指してるよね。いいなあ」

誉めているのは確かだが誉められている気がしない。

女の彩芽の指が荒れて傷だらけなのに、男の自分の指がなめらかできれいなのを自慢できようか。性差別と言われようと大事な女は守りたいと思うのが男の本能だ。でも、当人は望んでこの仕事をしているわけで、右生がとやかく言うことでもないし。


「……ジレンマだよなぁ」
「なにか言った？」
「いや」
「ねえ、もういいよ。時間かけすぎ」

どうしても気恥ずかしさが先立つのだろう、彩芽はさっさと手を引き抜こうとする。

「待てって」

彩芽の手を握り直した右生は、五本の指ひとつひとつの先を含むようにして口づける。

「ちょっ、ゆ、何？」

あわてるのを通り越し、彩芽の焦りが伝わってくる。

「ひどくならないおまじない」
「そ、なの信じな、くせにっ」
「俺のは効くの」
「なん、でっ」
「ずっと見張ってるから」

にやっと笑った右生は、彩芽の指を広げると最後に手のひらにくちづけた。

「手のひらのキスは懇願、って知ってるか？」


どこでその気になったんだか、自分でもわからない。手指の絆創膏、きっとそれを見ているうちだ。なら最初っからってことじゃないか。

「なあ、彩芽？」

手のひらを濡らす右生の息に彩芽の手が震えで呼応する。陥落はわかっているけれど、ろうそくの火が綱を切る、その一瞬を待つ。


手のひら越しに浴びせかける視線に、とうとう彩芽のまぶたが落ちると、それを合図にひきよせた。染めた頬よりも閉じた眼よりも、握りしめた指先、傷や絆創膏の感触をいとおしいと思う右生だった。


夜は、これから。





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜ 　Hand in hand　　／　end　＞