紫陽花が山盛りで売れ残っている。
どうしよう。


昼過ぎ、彩芽は他のスタッフと顔を見合わせた。明日明後日。盛りはそこですぎてしまう。なんとか今日売りきりたいけれど、紫陽花はなかなかに難しい花で単品ではあまり求められない。かといって。

「まとめると重いのよね、雰囲気が」
「こう、雨の滴を思わせますしね」

腕組みしてむうとうなっているところへ、ばさばさと持ち込まれたのは笹だった。これも今日が限りの売れ筋だ。軍手を二重にして細い体で幾本も担いできたのは誰あろう、彩芽の勤める「SNOW　RABBIT」トップの宇佐見真白だ。

「参ったわ、キャンセルが出ちゃった」
「刈っちゃったら月遅れの七夕にってわけにも」
「紫陽花もなんです」
「あらぁ」

紫陽花と竹をにらんで真白も唸った。
「なにか案はない？　愛でられずに散るんじゃ花も竹もかわいそうだし」

彩芽は思案した。
竹なら七夕の今夜。紫陽花だって。
そうだ。

「真白さん、たたき売りになっちゃってもいいですか」
彩芽の何か思いついた表情は真白にとっては覚えがあるものだ。

「花の命は短いのよ。任せるわ」
「ありがとうございます。みんな手伝ってくれる？」
「おっけー」
「なになに」
「どうするの」

集まるスタッフを手早く振り分けながら、土壇場で高揚する気持ちが彩芽をはやらせた。





「チーフ、お疲れさまです」
「お疲れさまでした」
「おう」

車に寄りかかった右生は片手をあげて応えた。とっくに日は暮れているが、エスコートは終業時間があってないようなものだ。配達の終わりが仕事終わり。今日は早いほうか。

スタッフが散った駐車場で右生は煙草を取り出した。火をつけて一日分を思い切り吸い込むと、疲れが煙になって口から逃げていく気がする。


夏は生花には厳しい季節だが、だからこそ特別な日にという注文も多い。今日は恋人宛の注文も多かった。七夕はいつから恋人たちのイベントになったんだろう。年に一度しか逢えないなんてとんでもない話だと思うのだが、この頃の恋人たちは試練とか限定とかに惹かれるのかもしれない。

俺だったら我慢できないな。

一服してから伸びをする。さて、彩芽はもう帰ったろうか、それともまだ居るだろうか。ぶらぶらと歩き出した右生は正面入り口へと角を曲がったところで、真白と鉢合わせした。

「ボス」
「右生。今日は早仕舞いね」
「ご冗談を。彩芽は？」

最初に尋ねるのは彩芽のことだ。照れも臆しもしない男に真白も驚かない。それどころか。にやにやする顔に右生が身構えた。真白はかつてのボス、キングを思わせるところがあって侮れない。

「ふふふ」
「なんですかその、不気味な笑い」
「あなたの彼女はなかなかよ」
「いまさら」
「頼りがいあるわ。笹も紫陽花もありったけはけそう」

「へ？」
「お客さんにモテモテよぉ」
「は？」
「早く行かないと売り切れそう」
「ちょ、ボス？　真白さんって」
「交差点のアンテナショップ。急いだ方がいいわよー」

残された右生はぽかんとした。時計をみればもうすぐ９時だというのに。仕事？　仕事じゃない？　モテモテ？　売り切れ？　あいつ何やってるんだ。

とにかくと右生は走り始めた。わからないなら行ってみるしかない。交差点まで走って１０分。夜になっても蒸し暑いってのに何の因果だ。彩芽の因果か。

思い切り眉根をよじらせて全速力で走る右生は迫力があって、通行人を何事だという顔で振りかえらせた。



アンテナショップは交差点の横断歩道正面にあった。花屋によくある間口の狭い小さな店だが、人通りがあるので売り上げもそれなりだ。そこが今人だかりでごった返している。押しあいへしあい、何事だろう。

よく見ると店を出る人が、だれもかれも紫陽花を手にしていた。紫陽花と笹？　右生の横を行きすぎたカップルがいちゃいちゃしながらしゃべっている。
「短冊で告白って照れるな」
「紫陽花きれーい。５００円なら安いよね」

女の子が抱えていたのは笹と紫陽花を刺した小さなポット。透明な袋にはいってリボンがかけてある。笹竹にぶら下がっているのは赤と青の短冊だ。彼らが書いたらしい。真白の言葉が断片的に浮かぶ。もしかして笹と紫陽花が余った？　でもって……ははん。

「さあさあせっかくの七夕の夜、彼氏彼女に告白しませんかー？　ふたりでお願い事書きませんかー？　笹竹と紫陽花、セットで５００円、数に限りがありますよ。短冊はここで書けますから」

紛れもない彩芽の声に吹き出しそうになった。全く商売上手だな。真白さんがご機嫌なわけだ。七夕にしか使えない手じゃあるが、だからこそ限定売りでプッシュできるというわけか。

感心している右生の前でまたひとつ、売れていく七夕セット。
「ありがとうございます。短冊はおまけですから、そこにペンが」

いつになったら終わるやら。あきれながらも、客に生き生きと接する彩芽が楽しそうで、煙草を吸うのも忘れて魅せられていたら。

「相変わらず彩芽しか眼に入ってないな」
「……っ、キング？」

まさかここで会うなんて思っても見なかった。右生の仰天顔に、サングラスの下で口ひげが縁取った口角が上がる。楽しげな笑み。おまけに彼の手にあるのは。

「それ」
「うん？　三時間ぐらい前だったか、通りかかったら彩芽が売り子で声を張り上げてたから。ひとつ買った」
「そりゃさぞかし」
目立っただろうと言いかけて右生は思い当たった。キングのことだ、自ら客寄せに協力したにちがいない。これだけ目立つ男がいかにもな雰囲気で買ったら、少なくとも女性は引き寄せられる。ひょっとしてこの人だかりのきっかけは？

毎度のことだが、してやられた気分で右生は舌打ちしそうになる。涼しい顔でお釈迦様が聞く。

「買わないのか」
「ほっといても売り切れるんじゃねえの」
「すねるな」
「すねるか」

笑われてつい噛みつく右生。
「じゃあな。彩芽によろしく」
そこで身を翻したキングに、右生は思いつきで問いかけた。

「キング、それ彼女にか？」
「なに？」
「年下の彼女。可愛いんだって？」

肩越しに振り返った彼の顔。サングラスで見えない眼はしかし、驚いて丸くなった気がする。
「……またな」

そのままキングは去った。気のせいかも知れないが一矢報いたようで、右生の気分は少し上向いた。やられっぱなしじゃ情けないしな。その間も彩芽の元気な声が客をつぎつぎにさばいていった。





右生が店に歩み寄ったのは、どうやら品物が完売し客がいなくなってからだ。後片付けしている顔見知りのスタッフに挨拶し、彩芽を呼ぶ。

「よ。腕利き花屋」
「右生？　みてたの？」
「真白さんがほくほくしてたぞ」

本人もまだ興奮が冷めないのだろう、頬が紅潮している。
「思ったよりうまくいっちゃった。紫陽花も笹もみんなもらわれてって良かった」
「嫁ぎ先を決めた母親だなまるで」
「気分はそうよ。誰かを喜ばせてから散ってほしいもの」

その気持ちは右生にもわかる。枯れてしまうのは仕方ないけれどその前に「きれい」と誰かに見て欲しいと思う。せっかく咲いたなら。

「俺も一つ欲しいんだけど」
「へ？　やだもっと早く来てよ。何にも残ってないってば。あれだけあった紫陽花だって」
「紫陽花よりも、ちょっと時期遅れだが綺麗なのがあるだろ」
「なに？　どこ？」
キョロキョロとあたりを見回す彩芽をここぞと指さしてやる。

「あやめ」
「……はい？」
「あやめがご所望。なあ、悪いけどこいつお持ち帰りでいいか？」
日頃から仲の良さを知られるふたりだ。スタッフも笑ってからかうだけ。

「了解です。お代はご本人にどーぞ」
「きゃー、彩芽さんたら愛されてますねー」
「七夕の夜に彼氏のお迎えってサイコー」
「えっ、やっ、えっと、その」

彩芽がおろおろする間に右生はさっさと彼女のカバンをつかみ、手をひっぱる。狭い店だ。それだけですでに外へ連れ出されてしまった。

「いっ、いいの？　ごめん、お疲れ」
「お疲れさまでしたー」
「今度奢ってくださいねー」
「美味しいスイーツでも可ですよー」

ノリのいいスタッフで何よりだ。大きく手を振ってから歩き出すと、彩芽がジト眼でにらんでくる。

「何もあんなとこで」
「いいじゃん。待ちくたびれたんだって。帰るぞ」
「えー、ちょっとだけ、駄目？」
ジト眼がおねだり眼に変わった。くいっと右手で飲む仕草が可愛い。

「心の底からビールが飲みたいの、今」
「そりゃ奇遇だな、俺もだ」
「やったー！」

両手を空に突き上げて喜ぶ彩芽。ほんと、こいつがいると天下太平、退屈知らずだ。
「待てって」

先を急ぐ彩芽を追いかけながら、晴れた夜空を右生は見上げる。東京じゃ天の川は見えないけれど、織り姫と彦星は今夜は逢えただろうか。

年に一度？　とんでもないな。そんな気長な恋は自分には向かない。けれど、だからってあきらめきれない想いも今ならわかる気がする。

もしもそれが彩芽だったら。


「早く−」
「あせんなよ」
足踏みして呼ぶ彼女に追いつき、見下ろす。

やっぱり無理だな。一年なんて冗談じゃない。
こいつもおとなしく待ってるわけないし。
そうだろ、彩芽？


「早くビールぅううう！」
「へいへい。ほら信号、ダーッシュ！」
「きゃーっ」


赤信号に駆けて行くふたりの後ろ、植え込みには紫陽花が、地上の星とばかりに数えきれぬ小花をまたたかせていた。





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