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番外短編 「祝杯」 『はい。あたる？』 「そう。良之、今どこ〜？」 『会社近くの居酒屋。言ったろ？ 接待終わって同僚とお疲れ中。』 「じゃすぐ来てー。祝杯！」 『そう祝杯・・・は？』 「すぐ！」 『・・・酔っぱらいかよ。無理言うなよな。おまえ、一人か？』 「佳織さんと〜」 『もう帰れよ。迷惑になるからさ。俺はもうちょい遅くなる。』 「だめーっ、すぐ来るの！」 『切るぞ。』 「だって祝杯・・」 『 「プッ・・・ツー・ツー・ツー」 あたるの口がへの字に曲がって、それから眼が哀しげにすねた。 「良之のバカーッ！！」 １２時前でもにぎやかな商店街は、週末の光景。 居酒屋からはき出されたらしい集団が、わいわい騒ぎながらあちこちにいる。 「頑張るぞーっ、おー！」 訳もなく気勢をあげるのは、新入社員か１年生か。 そんな中、ひときわ高い声が通る人の耳にひっかかる。 「えーっ、もう一軒行きましょうよぉ〜。」 ちょっとろれつの怪しいその声と一緒に、別の声もする。 「駄目だって。あたるさん飲み過ぎ。帰った方がいい。」 ふらつくあたるを必死で支えようとしているのは佳織だ。 あたるの新しい上司。 遙がアンテナショップ「zigzag」を任せたほどのしっかり者。 その彼女も酔っぱらいにはやっぱり手を焼いている。 佳織の努力を気にも留めず、あたるはふらふらしたあげく、 もう閉まっている薬屋の店先でマスコット人形にぶつかって抱きついた。 「いやん、可愛い〜。」 「ちょ、ちょっと！ みっともない！」 「やだぁ〜。」 帰ろう。 佳織が瞬間そう思ったのはしょうがないかも。 誰だってマスコット人形に抱きついてる奴とは、他人の振りをしたい。 「あたるさんってば〜。」 佳織に泣き言を言わせるとはある意味大物？ 「ねえ、勘弁してよぉ。」 人形とラブラブしているあたるを必死で起きあがらせようとしていた時。 突然ニュッと腕が伸びて、低い声がした。 「あたる。立てって。」 驚いてふりむくと、背の高い、めがねをかけた背広の男性。 「あ、あの？」 「馬淵佳織・・・さん？」 「・・・え？ どうして？」 「天羽です。こいつから聞いてませんか？」 「あも・・・あ、あたるさんと一緒に暮らしてる？」 「ええ。いつも世話になってます。」 悪びれもせず会釈する。 めがねの奧の眼は鋭い。もっとも佳織は平気だが。 「すいません、ずいぶん酔っぱらったんですね。」 言葉は穏やかだが眉をしかめてる。 「え、え。嬉しい事があったから。でも、途中からやけ酒みたいに飲み過ぎて。」 「あとは引き取りますから。ご迷惑かけてすみませんでした。 ・・・今度こういうことになった場合は、その辺に捨ててって構いませんよ。」 保護者から一転して悪魔の口調に、佳織が吹き出す。 「なるほどね・・・一度お会いしたかったんですよ。」 意味深な言葉に天羽の片眉があがる。 「また悪口言ってるんでしょう。」 「いいえ。あたるさんってユニークだから、あなたもきっとそうだろうって。」 「どうかな。こいつには負けますよ、たぶん。」 「また３人でゆっくり食事でも。」 「機会があれば。」 至ってクールに当たり障りのない返事をしたくせに。 振り向いたとたん。 「・・・こらっ、あたるっ！ 起きろっ！」 人形に抱きついたまま眠り込んでいるあたるに切れた。 「おまえなーーっ！」 その様子に眼を丸くした佳織が、忍び笑いを始める。 鋭かった瞳が一転柔らかくなったことに驚きながら。 「すいません。こいつ、負ぶわせてもらえますか？」 げんなりした顔つきで、天羽は助けを求めてきた。 『その調子じゃ奇跡だな。』 『ひっどーい。奇跡より確率たかいもん。』 『じゃうまくいったら祝杯だ。』 『ほんと？』 『ああ。ちゃんと知らせろ。』 『いつでも？』 『どこにでも。』 そう言ったのに。 ゆらゆらゆら。 気持ちよさそうに背中で揺られるあたる。 「あたる。しっかりつかまれって。」 「ん〜？・・」 重い訳じゃなく軽い。もともと小柄なあたる。 揺れ落ちそうになりながらも、無意識に背広をギュッとつかんでいる。 誰に負ぶわれてるのかも、わかってないんだろうな。 その温もりに浮かぶ笑み。落ちるなよ、馬鹿。 ベッドに下ろしてやると又丸くなる。いつもの姿勢。 やれやれ、のんきだよなぁ。 とりあえず着替えてから、あたるもジャケットだけ脱がせてやる。 「ほら、手。抜けって。」 「ん−−・・・？」 その無防備さにちょっと呆れる。前にもこういうことあったよな。 そそらないわけじゃないが。 酔いつぶれてる奴を襲う趣味はないし、つぶれてちゃ面白くもないし？ 無防備で無邪気な寝顔は睡眠薬。寝るか。 キッチンで水を飲んでると、声がした。 「あ・・・れぇ・・？」 戻ると薄闇のベッドの上で、あたるが起きあがってる。 目をこすりながらこっちを見た。 「あー・・良之だぁ。」 顔を出した天羽を見つけると子どもみたいに指さす。 ・・・やっぱり酔ってる。 「おまえねー、早く帰れって言ったろ？」 「だってお祝いだもーん。」 「はぁ？」 「だって良之がこないからだもーん。」 「あのなー。」 言ってる事のつじつまが合わない。 「来るって言ったくせにぃ。」 「言ってないだろ。」 「言った。」 バチバチッっと火花をとばしかけて天羽の気は挫け、がっくりしゃがみ込む。 酔っぱらいと水掛け論してもなぁ。 「あのさ、さっきは・・。」 説明に顔を上げたら、あたるがいない？ バタン。プシュッ・・台所？ 取り出した缶ビールを口にしようとしているあたるに、天羽が叫んだ。 「これ以上酔っぱらう気かよっ。」 振り向きざま、おかまいなしで渡されたもう１本の缶ビール。 そこにあたるは自分が持っている缶を押し当てて。 「かんぱーい♪」 「乾杯・・・っておまえね。」 「いぇ〜い。」 「あたる！」 さすがに大声になった天羽が、逆にびびった。 あたるがポロポロ泣き出したから。 「・・・・まくいっ・・たら・・祝杯・・って・・ったくせに〜・・。」 「お、おい。あたる？ 泣くなっ。投げるなってー。」 振り上げた缶ビールをあわてて奪い取る。 泣き上戸？ 怒り上戸か？ 「良之のばっかぁあああっ！」 駄々をこねる子どもよろしく、リビングへ走っていってしまった。 「はーっ・・・」思い切り脱力した天羽。 なんなんだ、一体？ 怒ってるのか？ 違うな、何言って−−祝杯？ 『うまくいったら祝杯もんだな。』 不意によみがえったのは自分の声。 「zigzag」は順調で、売り上げも上がり始めている。 そんな中、あたるがやけに悔しがっていたある夜。 自分が勧めた商品がもう少しで売れそうだったのに、 土壇場でお客が気を変えたとか。 『やっぱりやめるわって。そりゃしょうがないけど。』 家具を扱うだけに、小物はともかく一つの商品の単価が高い。 だから客の意志をコントロールするのも、腕なのだ。 『もうちょっとだったのにな。』 『押し売りじゃないんだから。気持ちよく買わせなきゃな。』 『わかってるよ。』 『その調子じゃ売れたら奇跡か。』 『ひっどーい。奇跡より確率高いもん。』 『じゃうまくいったら祝杯だ。』 『ほんと？』 『ああ。ちゃんと知らせろ。』 『いつでも？』 『どこにでも。』 『ほんとにほんと？』 『悪魔に二言はない・・・たぶん。』 『たぶんってー？』 『くっ・・・嘘だって。がんばれよな。』 『うん！』 今頃思い出してチッと舌打ちする。 祝杯。つまり、あたるの勧めた商品が売れたってことだ。 やばい。あれっきり言わなかったから、すっかり忘れてた。 言ったのは俺だもんな。そりゃ怒るだろ。どう思案しても自分が悪い？ そっとリビングをのぞくと真っ暗。その中に寝息。 ソファへ歩み寄ってのぞき込む。 「寝ちまったのか。」 毛布をかけてやりながらフットライトに透かすと、目尻に涙が残ってる。 伸ばした指先で拭うと微かな身じろぎ。 「悪かったな。」 涙の後を消すように、そっと唇を押し当てた。 カリカリカリ・・・・。 耳慣れた、でも耳障りな音に、あたるの意識が目覚めた。 ゆっくりあけた眼に映るのは天羽。 コーヒーミルを回しながらのくわえ煙草。 ハンドルに合わせるように煙がゆらゆらと揺れている。 まるで火をおこしてるような、そのくせ水を満たすような。不思議なリズム。 煙草の灰を落とそうと手を休めて、あたるに気づいた。 「よ。起きたか。」 「・・・ん・・・あ・・れ？」 我に返ればここはリビング。ソファの上で眠ってた自分。 「なんで・・・だっけ？」 クッと笑った天羽。 「夕べの記憶は？」 「へ？ えーっと・・・佳織さんと飲んで・・・・？」 寝ころんでると思い出せない気がして起きあがったが。 「痛っ・・・頭痛い〜・・。」 ガンガンと鉄槌が響いてくる。やだー。 「そりゃずいぶん飲んだみたいだし。」 「あ・・あ、そっか。」 ようやくおぼろげに思い出してきた。嬉しくて飲んで・・・哀しくなってまた。 あー、痛いよー。 「ほら。」 いつのまにか立ち上がっていた天羽が差し出す薬と水。 「・・・ありがと。」 あたるに渡すとまた座ってミルを回し始める。 「帰り道でさ、薬屋の人形に抱きついてるおまえと、佳織さんにでくわして。」 「抱きついたっ？ あ・・たたた。」 「そ。人形とラブシーンのあと眠り込むんだぜ。」 ひょえ。全然記憶にない。 「佳織さんにあとで謝っとけよ。いちおう御礼は言ったけど。」 「佳織さんってわかった？」やっと薬を飲み干して。 「ああ。おまえが話してたとおりの感じ？」 「そっか。」 「向こうもそう思ったらしいぞ。」 「へ？」 「おまえ、なんか悪口言ってるだろ。」 「べ、別に・・・。」 「ま、いいけど。」 ニヤニヤ笑いながら言われて焦る。 佳織さんたら、なにか言ったのかなぁ。 ああ、頭のガンガンが納まらない。もう一度寝転がるソファベッド。 天井をみつめながら、薬の効くのを待つように目を閉じた。 あー、仕事が休みでよかった。 またうつらうつらしたらしい。 「あたる。」 呼ばれてハッと眼を開ける。見下ろしてる天羽の笑顔。 「ちょっと起きろよ。」 ゆっくり起きあがると、頭痛は治まりそうだった。よかった。 目をこすりながら座ったあたるの手に。 「ほら。」 広口のマグカップ。コーヒー？ いや、それよりも柔らかな色合い。 「特製カフェオレ。」 「カフェオレ？」 「今朝もこれなら飲めると思ってさ。」 眼をパチクリさせてカップと天羽を見比べた。 「なんだよ。」 「・・カフェオレなんて入れてくれた事ないじゃない。コーヒーはストレートって。」 「そりゃそうだ。それが基本。」 「じゃなんで？」 芯から不思議そうなあたるの眼に苦笑して。 自分もカップを手にあたるの横へ座る。 「おまえも飲めないとできないじゃん。」 「何が？」 「祝杯。」 カフェオレを眺めていたあたるが、弾かれたように顔を上げた。 めがねをかけてない、まっすぐな天羽の眼。 「夕べは悪かったな。」 「・・・良之・・？」 思い出してくれたんだー。 「で？ 何が売れたんだ？」 「・・あの・・・ちょうど、これくらいの大きさのソファ。 もっと曲線入ってて色はビビッド・オレンジなの。 新婚さんで迷ってたんだけど・・。」 「おまえが勧めたら、売れたわけか。」 「・・・うん。」 「そっか。良かったな。」 天羽の大きな手のひらが、あたるの寝起きの髪をくしゃっとなでる。 話していてもまだ茫然としていたあたるの顔に、ゆっくりと笑みが広がる。 同時に瞳も潤み出す。 「こら、泣くな。」 「・・・って・・・」 「だから、悪かったって。思い出したから勘弁しろ。」 カップを持つ反対の手で、あたるの肩を抱き寄せた。 「奇跡は起きたわけだな。」 「・・・ひど・・・奇跡・・り・・確率いい・・・って・・」 「そうだな。奇跡じゃまずい。これからもっと売れなきゃな。」 「・・・うん・・・・」 カップを膝に。天羽の肩に頭を乗せて。あたるは涙をすすりあげた。 その髪をなでてくれる指が優しくて。嬉しい。 「ほら。冷めるぞ。」 その声に頭を起こして、カップを持ち上げる。 カチン・・。 天羽のコーヒーカップとあたるのカフェオレカップが、軽く音を立てた。 「初セール、おめでとう。」 「・・ありがと。」 口にしたカフェオレのまろやかで優しい味が、 そのまま作ってくれた想いに重なる。 「おいしい。」 「そっか？」 「うん。ありがと。」 嬉しそうなあたるの笑顔に、笑った天羽だったけれど。 「・・・俺も味見するか。」 「そう？ はい。」 差し出されたカップは手にしたものの、 天羽は自分のカップと一緒に机の上に置いてしまった。 「良之？」 「こっちで味見。」 言うなり重ねられた唇は問答無用。大きく見開かれたあたるの瞳は一瞬で。 有無を言わさず味を探ってくる舌に、ゆるゆると瞼は閉じられてしまった。 休日の朝。 テーブルの上に寄り添った二つのカップが祝杯を続けている。 いつまでも−。 ＜ syukuhai ／ End ＞ |