| 番外編 「未来予想図ー桜ー」
春は桜。 これに反論する人は、あまりいないと思う。日本人なら。 咲き始めるとそわそわし、日に日に開いていく花に心は急かされ。 そして我先に走り出すのだ。誰も彼も。 「花見？」 天羽が素っ頓狂な声を出した。彼にしては珍しいと言える。 あまり日常、驚くこともあわてることも人に見せたりしないほうだから。 そんな彼を驚かすのは大抵、彼女だ。 「うん。明日の日曜。なんか用事ある？」 あたるは手元で今日引き取ったガラスのツボを磨きながら、 ”花見は日本人の常識だ”とでも言いたそうに聞き返す。 「別に用事はないけどさ、えらい急じゃん。なんで？」 「カヲルがやりたいって。ほら、このところバタバタしてて、 みんな桜なんて目に入ってなかったから。」 この春はそれぞれに忙しい毎日で。 再就職した天羽。臨時店長のあたる。 バイトを変えたさくらにあわてる伊倉。遠く洋子を想うカヲル。 咲き始めた桜を気にする余裕もなく。 ふと見たら満開だった・・・というわけだ。 「毎年、お花見やってたのよ。」 「カヲル君と？」 あたるが一瞬言葉に詰まって。でもサラッと流す。 「友だち集めて。花見はにぎやかな方がいいから、大人数で。」 「へえ。」 「お弁当もカヲルが作ってくれてたんだよ。」 「らしい。」クッと笑う天羽。 お重に綺麗に詰め込むカヲルが浮かんでしまったから。 「だから、桜に気づいてあわてたんだって。花見をやってないって。」 別にあわてなくてもいい気がするんだが。 桜は毎年咲いては散っているのに。 「でね。さくらとゲソと天羽さんも誘って、お花見しようって。 ゆうべ決めたの。」 「はあ、なるほどね。」 苦笑するしかない。 「駄目？」あたるが上目遣いに聞く。 「弁当は誰が作るんだ？」とりあえず確かめる。 「あたし♪」 「用事を思い出した。」さっさと立ち上がろうとする天羽に取りすがる。 「ちょっとー、それはないでしょ。」 「俺は花よりだんご派。加えて言えば命は惜しい。」 「どういう意味よ〜。」 ぷーっとふくれつつ、言葉を足す。 「ちゃんとカヲルが作るってば。あたしとさくらは助手。」 「なら安心。」 ニヤッと笑うその顔が憎たらしい。 でも。 ここで文句を言えるほど、自分の腕がないのも承知している。 「どこでやるんだ？」 店を片づけながら天羽が聞く。もう９時を回っている。 「あのね、神社。人も集まるから。」 「場所がないんじゃねえの？」 天羽が危惧する。あんまり広くないぞ、あそこ。 「ご心配なく。すでに場所取りが行ってるから。」 「へ？ 誰？」 「カヲルがお弁当作りで、あなたがここにいたら残るは一人でしょ。」 あたるの眼が悪戯っぽく笑った。 くしゅんっ。 寝袋にくるまっているのに、伊倉はいきなりくしゃみをした。 桜は咲いても夜は冷えるよなぁ。 神社の階段の上。本堂脇にある大きな桜の真下。 いかにもな青いビニールシートを敷いて、その上に陣取ったのは今日の午後。 回りにも似たような場所取りがたくさんいたので、 彼らと雑談しながらビールをくらって。呑気な１日を過ごしていた。 さくらに「お花見しよう」と誘われたので、ついでに場所取りも引き受けたのだ。 こういうのは嫌いじゃない。 いや、会社のだと色々面倒だが、のんびりと場所取りするのはいいものだ。 夕方、さくらが差し入れにやってきた。 「寒くない？」 「いや。寝袋持ってきたし。明日天気よさそうじゃん。絶好の花見日和かな。」 ビールをすでに３，４本飲み干しているからご機嫌だ。 「明日の昼前には来るから。お酒はビールでいいの？」 「んー、日本酒もほしいなぁ。あ、洋酒もわるくないね。桜にワインってのも・・」 バコッ！ さくらにどつかれる。 「あんまり甘えんじゃないわよっ！」 「ひっでえなあ。俺、がんばってるだろ。」 「あのね。頑張ってるんじゃなくて、 家で飲む代わりに桜を眺めつつ飲んでるだけでしょ。」 「なるほど。そうともいえるか。」 「納得するんじゃないわよっ！」 もう一発くらって。頭をさすっていたら、ビニール袋が差し出された。 伊倉の好みのつまみがいっぱい。それからポット。 「あったかいコーヒー入ってるから。風邪ひかないでよね。」 「優しいじゃん。」 「あたしはいっつも優しいわよ。」 つんとそむけたその顔はちょっと赤くて可愛かった。 「おいしいの、作って来いよな。」 「カヲルがいるもん。大丈夫。」他力本願で保証するのがらしい。 「ま、そうだな。遅くならないうちに帰れよ。」 「うん。」 立ち上がりかけたさくらは、ふいに伊倉に抱きついた。 「おっ、おいおい。」伊倉が驚く。 「へへー。一緒に野宿したいなぁ。」なつくさくらは可愛いけど。 「公衆の面前でやるか？」 色気のない台詞に立ち上がった。 「じゃ明日ね。」 手を振って駆けていった。 「・・・人の理性を崩して置き去りにするなよな。」 伊倉の小さなぼやきはさくらが見えなくなってからだった。 「伊倉さんか。なるほど。」 納得した天羽。 「俺もつきあってやろうか。ひとりじゃ寂しいじゃん。」 「あ、そうしてあげる？」 あたるが振り向く。 「明日朝からお弁当作るから、あたし今夜は帰っちゃうし。」 「そっか。じゃちょっと行ってくるかな。伊倉さんとゆっくり飲むのもいいだろ。」 その気になった天羽は、奥の方から寝袋を取り出す。 「寝袋なんて持ってたんだ？」 「あ？ そりゃな。旅してた頃は必需品だから。」 「そ・・か。あちこち行ったって。」 「北から南から。色々な。」 「ふーん。」あたるの目がちょっと寂しげになる。 訝しそうな天羽の視線に気づいて、ニコッと笑う。 「夜は冷えるから。風邪ひかないでよ。」 「オッケー。」 「そう言えば、お弁当って何が好きなの？」何気なく聞く。 「そうだな煮物とか、あ。出汁巻き卵。甘くない奴。」 「甘いの嫌い？」 「嫌いじゃねえけど。お重だと出汁巻きだよな。カヲル君に言っといて。」 「わかった。」 天羽は寝袋と諸々をバイクに積んだ。 あたるも店を出る。ドアのカギを閉めて。 「じゃ、明日な。」 「うん。ゲソによろしく。」 「弁当、くれぐれもカヲル君の邪魔しないように。」 「どういう意味よ。」 睨むあたるにニヤッと笑って。 クシャッと頭をなでた手は、顔の輪郭をなぞる。 あごをついっと持ち上げられるとそのまま口づけられた。 びっくり眼をパチパチする間に、天羽はエンジンをかける。 「早く帰れよ。」 あっという間に走り去ってしまった。 「・・・もぉっ。」 尖らせた唇に指で触れながら、あたるの頬は紅く染まっていた。 夜が深まるとさらに冷えてくる。 寝袋にくるまった伊倉は、コーヒーで温まる。 「ふつうは熱燗だよなぁ。あいつ。」 ブツブツ言ってたら頭の上から声がした。 「お疲れ。」 見上げると天羽。手には瞬間沸騰の日本酒缶。 「おっ、ありがたい。まあまあ座って。」 酒はもちろん、話し相手の登場に伊倉は喜び、起きあがった。 再び酒盛りは始まる。どっちもザルだから。 「夜桜もいいね。」 天羽は闇に浮かぶ桜の枝を見上げながら漏らす。 「酒ならどっちかっていうと夜だよね。見事なもんだよ。」 熱燗をぐびぐび飲みながら、伊倉はご機嫌だ。 「さくらちゃん、バイト変わったんだって？」 「そうなんだよ。ブティックだって。 それはいいんだけどさ、お誘いが多いらしくて。」 伊倉の台詞はどこか不満そう。 「心配なんだ？」 天羽が笑みを浮かべて聞く。 「別に。まだあいつ若いんだから。それはあたりまえでしょ。」 妙にマジな言葉は本音ではあるのだろうけど。 「あたるちゃんは？ 元気？」 「ああ。まだ仕事も慣れてないみたいで。ウロウロやってるなぁ。」 とんでもない失敗をしかけたりして、遙にフォローしてもらってるようだが。 「元々そそっかしいから。」 「その辺も可愛いんでしょ。」 伊倉の突っ込みには笑うだけ。 「カヲル君も大変だよね。遠距離恋愛もアメリカじゃ極まってるよ。」 これは他人事とばかりに、話のネタにする伊倉。 「洋子さんだから。子どもがいるし、そうそうは切れないんじゃないかな。 普通の遠距離恋愛とは又違って。」 「そうだよね。子どもがいるんだもんねぇ。」 そうつぶやいて、伊倉が天羽を見る。 「あのさ。聞いてまずいなら聞き流して欲しいんだけど。 遙さんとは・・・どうなったの？」 伊倉はあまり人のプライバシーに立ち入らない。 性格もあるだろうし、多分自分も立ち入って欲しくないんだろう。 天羽はそう読んでいる。そんな伊倉の質問だからちょっと意外。 「珍しいね。伊倉さんが聞くの。」 「いや・・。子どものこともあるし、どうなったのかなと想ってさ。」 少し酔ってもいるのだろう。 「・・・遙にははっきりふられたんだ。」 「え？ そうなの？」 「その時再婚の話、聞いたんだよ。女は強いな。」 しみじみ言う天羽に、頷く伊倉。 「そうだよね。一人で産んで育てた自信かな。」 「ああ。こっちがおたつくだけだ。負ける。」 思い出すのは、さくらの言葉。 『何がしあわせかはね、あたしが決めるのよっ！』 「いざとなるとなんでああ、強いかなぁ。」 「伊倉さんもなんだかんだいって、さくらちゃんには弱いよね。」 天羽が笑う。 酔いのせいか否定もせずに頭をかく伊倉。 「あいつはいつも直球勝負でさ。逃げ場がないから。」 「なるほど。」 「それ言ったら天羽さんだって、あたるちゃんには弱いでしょ？」 「俺？ 俺は別に。」 「あれ。そこだけ強気のつもり？」 「強気ってわけでもないけど。」 「あたるちゃんってさ、読めるところと読めないところがあるよね。 そこがおもしろかったりするんじゃないの？」 言われて考えてみる。 読めるところと読めないところ、か。 確かにそうかも知れない。 わかりやすいくせに驚かされる。 「カヲル君もさ、洋子さんには振り回されてるし。ああ、男はつらいなあ。」 ひとりうなづきながらまた酒を飲む伊倉に、天羽は苦笑しながらつきあった。 夜は長い。 翌朝、カヲルの家の台所が大騒ぎだった。 「あたるっ、扇げってば。すし飯は手際よく扇いで味をしみこませないと。」 「えー、扇いでるよ。結構疲れるんだから、これ。」 「おまえね、右手にしゃもじ持てっ！」 「ねえねえ、このウィンナー、可愛いでしょ？」 さくらがタコさんウィンナーを見せる。 「さくらーっ！ そういうのは伊倉限定の弁当だけにしろっ！」 「いいじゃん。せっかく作ってるんだから。」ぶーっとふくれる。 「カヲルー、人参とかんぴょうが焦げるよ。」 とりあえず扇ぎながらあたるがのんきに口を挟む。 「馬鹿っ！ 火とめろっ、火っ！」 ・・・カヲルの苦労を押して知るべし。 ちらしずしにおいなり。煮物にトリの唐揚げ。サラダにフルーツ。 なんだかんだ言いながら手際のいいカヲルの横で、あたるは格闘していた。 出汁巻き卵と。 昨日の天羽の一言に、つい作りたくなってしまったのだ。自分で。 ゆうべ帰ってからカヲルに聞く。 「ねえねえ、出汁巻き卵って難しい？」 「難しいっていうか、あれは慣れだよな。なんで？」 「あたしに作れる？」 「だから。味はともかく作るのは慣れだよ。出汁巻き欲しいの？」 「・・・天羽さんのリクエスト。」 「へえ〜。」ニヤニヤするカヲル。 「あ、ほんとはカヲルにリクエストなんだけど・・・作ってみようかなって・・。」 顔を紅くしてうつむき加減のあたるが可愛い。 「おまえさ、卵焼き作ったことあったっけ？」 朝ご飯はどうしても目玉焼きとかスクランブルが多いのだ。 「・・・１，２回は。」 「だよなぁ。ま、いいや。ちらし作るから、失敗したら彩りにしてやるよ。 作ってみれば。」 あたるが思いっきり笑顔になった。 「うんっ！」 かくして突入した出汁巻き卵作り。 当然出汁をとっての味付けはカヲルがチェックする。 「天羽さん、甘い方がいいの？」 「ううん。出汁巻きは甘くないほうがって。」 「そっか。こういう味って家々で違うじゃん。 ・・・まあ、俺んちの味でいってみるか。」 出汁に醤油に酒とみりんを少々。塩をこころもち。 「泡立てないように混ぜて。」 神妙な顔つきでいわれたことをやっているあたる。 「あたる〜、そんなに緊張すると失敗するわよ。」 煮付けたおいなりにすし飯を詰め込みながら、さくらがグサリと突き刺す。 「うるさいわよ。静かにして。」 そうして焼いてみた。まず第一作。 「寄せて。あ、そっちじゃなくて奥へ。あ、あ、焦げるって・・こらまて！」 お約束のように失敗。これはスクランブルか？ 「おまえ、手順がまるっきりわかってないな。」 甘かったなと唸りつつ、カヲルはお手本をみせてやった。 なんでカヲルの手に掛かると、箸も卵焼き器も卵さえ、 こんなに綺麗に巻き取られるのかな。 しみじみ不思議に思うのだが、それは当然熟練の差なのだ。 「わかった？」 問われて不安そうに頷く。 「言ったろ。これは慣れなの。とにかくやるしかないって。 ちらしは最後に詰めるから。思う存分、彩り作れよ。」 かなりヤケ気味のカヲルのフォローに顔をしかめつつ、 あたるは再び立ち向かった。 顔に触れた何かで目が開いた天羽。 額に乗っているのは花びら？ 見えるのは青天井の空。ぽかぽかした日射しが眩しい。 その光に目を細めてから思い出した。 そうだ。花見の場所取りだった。 首を巡らすと隣で伊倉がまだぐーぐー寝ている。 よっこいしょと体を起こした。 回りにいる場所取り組も、ぼつぼつと起き始める。 時計は９時前。もうちょっとしないと来ないかな。 うーっと伸びをして、ポットに手を伸ばした。目覚めの一杯。 その指の先をはらっとまた、花びらがかすめて流れていった。 「・・・これは？」 あたるが差し出す卵焼きはすでに４個目。 「うーーーん。ずいぶんましにはなったけどな。」 やっぱり唸るカヲル。 卵焼きがこんなに難しいなんて認識不足だった。 おかあさんって偉いと思うあたる。 もう勘弁して欲しい。でも、厳しいカヲルは認めてくれない。 「もう１回だけやってみろ。それで卵もなくなることだし。」 「えー。まだやるの？」 自分でやると言っておきながらだが、それが本音。 飽きたわけでなく、力を使い果たしそうなのだ。 あたるの両手の指にはすでに、絆創膏が３つずつまかれている。 ちいさなやけど。 油を入れすぎたり、うまく転がらない卵を指でつついたり。 不器用さも極まっている。 「ここまでやったんだから。ちゃんとうまいって言って欲しいだろ？」 カヲルの言葉に反論できない。。 ここまでやったんだから。 ため息をつくと、もう一度手順をつぶやきながらコンロにむかった。 油を引く。それを伸ばす。 卵を３分の１入れる。 手早くかき混ぜる。 形を整えて奥へ寄せる。その手前に卵を又入れる。 奥へ寄せてある卵の下にも引き込む。 それを芯にしてクルクルと巻く。また奥へ寄せる。 残りの卵をいれて、巻き込む。 息を詰めてこれ以上はできないくらい真剣に。 あたるは目が痛くなるほどみつめて箸を動かした。 「・・・できた。」 横で見ていたカヲルは、卵焼き器をちょっと揺らして見て。 「できたじゃん。」 やっと笑顔。 「やったあ〜！！」 「ま、待てっ！ 卵っ！」 卵焼きごと万歳をしかけるあたるを、あわててカヲルが抑える。 「よかったー。やればできるのね。」 「ほんと、よかった。俺どうしようかと思った。」 カヲルは脱力気味。 「まあ確かに、あたるにしてはできた方だけどさぁ、こっちどうするのよ。」 ふたりの後ろからさくらが冷静に聞いた。 「いくら彩りったって・・・これ全部？」 指さす先には完成型を含めて、 出汁巻き卵もどきが５つもお皿に並んでいたから。 かくしてちらし寿司はやたら黄色が目立つ、ボリューム満点のものとなった。 １１時過ぎ。 ようやく起きた伊倉が神社の水道で顔を洗ってきて。 ふたりで一服する。 「寝袋はぼちぼちききつくなってきたなぁ。年かな。」 「何言ってんですか。まだ年っていう年じゃないでしょ。」 「いやー、３５を越えるとさ、とみに感じるんだよね。体力の衰えとか。」 変にじじくさいことをいう伊倉に吹きだしかける。 その実、ちっともそう思ってないこともよくわかるから。 「天気がよくてよかったよね。」天羽が言う。 「ほんと。雨の花見はつらいからなぁ。」 「え？ 雨でもやるつもりだったの？」 「え？ やらないつもりだったの？」 今ひとつ意志の疎通が欠けるふたりが顔を見合わせた時、 階段のほうから声がした。 「お待たせー。場所取りご苦労様。」 あたるとさくら、カヲルが、荷物と共に現れた。 「遅いぞー。」 場所取り組が笑って手を振った。 ようやく全員集合となった。 小さな折り畳みテーブルまでもってきたカヲルは、手際よくそれを立てる。 さくらとあたるはもってきたお弁当を広げ始めた。 クーラーボックスには、缶ビールやら日本酒やら酎ハイやら。 「あれ。ワインがある。」 「もってこいって言ったでしょ。」 さくらがお重の包みをあけながらぼやく。 「重かったんだからね。全部そろえるの。」 「でもワインはさぁ。」 「チーズとハムならここ。」 あたるが横から差し出す。 「おっ。わかってるじゃん。」 「さくらが用意したのよ。あなたはうるさいからって。」言下に斬って捨てる。 「さくら〜、愛してるよ〜。」 「あたしは愛してないわよっ！」 他の３人はすでに聞こえても聞こえないフリ。毎度のことだから。 「へえー。やっぱ凄いね、カヲル君。商売できそうじゃん。」 天羽が感嘆の声を漏らす。 確かに見事だ。５段のお重。 ちらしずしが１段。稲荷寿司が１段。煮物が１段。 唐揚げやら肉団子やらが１段。サラダや果物、魚ものが１段。 買ったらいくらするんだろう、とつい考えるほど。 「俺の実家ね、食堂なんですよ。言わなかったっけ？」 カヲルが照れながら説明する。 「花見の頃なんて宴会ばっかりで。親父が料理するから手伝わされて。 門前の小僧ってやつ。」 「それにしたって見事だよ。おまえは門前にいなかったわけ？ 近所だろ？」 天羽があたるをからかう。 「そりゃそうだけど・・・向き不向きってあるでしょ。」 「この頃あたるもずいぶん上達したんですよ。な。」 ついさっきまで頑張ってたんだから、カヲルのフォローも実感がある。 「で？ お前はどれ作ったの？」 「え？ あ。揚げ物はしたよ。あと、すし飯を扇いで。」 天羽が吹きだす。 「扇ぐのは料理っていうのか？」笑いが止まらない。 カヲルが言いたそうだけど、あたるが目で黙らせる。 実は来る前に、さくらにもカヲルにも口止めしたのだ。出汁巻き卵の事。 ほんとの感想を聞きたかったから。 失敗だったらどうしようー。不安を抱えつつ。 「それにしても綺麗だよね。」あたるが見上げる。 ５人が陣取った桜は神社でも大きい方だろう。 思いっきり枝を広げて、その端々まで花が開いている。 時折の風に１輪、また１輪と流されるのがまた、風情だった。 あたるはふと思い出す。 昨日、天羽に毎年のお花見を聞かれて詰まったのは、去年まで健も一緒だったからだ。 同棲してたから、当然と言えば当然なのだが。 だからって３人ではなく、大学時代の同級生をもっと集めて、 大抵１０人以上のにぎやかな花見だった。 カヲルのごちそうに舌鼓をうちながらのどんちゃん騒ぎ。 今年、カヲルがそれを言い出さなかったのは、 むろん時の流れでこっちが自然だったこともあるが、 あたるへの気遣いも半分はあっただろう。 去年は健ちゃんと見てたのになぁ。桜。 覚えてる。みんなとはしゃいで笑ってた。飲んで赤かった顔。 まだ苦さはあるけど。あたしはここにいる。 不思議な気がした。 見上げたまま動かなくなったあたるに、カヲルが思い当たった。長いつきあいだ。 あの馬鹿、去年の花見でも思い出したのかな。 毎年やってたから無理もないけど。 さりげなく天羽に話しかける。 「天羽さんって、あちこち旅してたんでしょ？」 「ん？ まあね。」 「桜の綺麗なところってありました？」 「綺麗なところっていうか、桜って一面咲いてるとどこでも綺麗なんだよね。」 天羽が笑う。 「だからどっちかというと、数が多いほど見事に見えるんだよ。」 「あー、なるほど。」 「いつだったかなー。北の方だから大分季節は遅かったけど、 山ん中ですごい見事に咲いてるの見たよ。 それこそ、目の届く限り桜ばっかりってところ。」 「へえー。そんなところあるんだ。」 「迷い込んだって言う方が正しいから、もっぺん行こうと思っても行けないけどね。」 天羽がくくっと笑う。 あたるはその話を聞きながら、やっぱり思いは過去に馳せる。 ゆうべ寝袋を見たときも思ったこと。 あたしにあたしの昔があるように、この人にもこの人の昔がいっぱいあるんだよね。 それはあたりまえで、それが悪いってことじゃない。 知りたいってわけでもない。 ただ。淋しいなと思う。知らない部分。 たとえば桜の記憶。彼の中にある一面の桜はあたしは見ることはかなわない。 それが淋しい。 こんなこと思うのはわがままなのかな。 カヲルとあれこれ話しているけど、天羽はあたるの様子に気づいていた。 なんだろう。なんか・・・変な感じだな。 気のせいならいいけど。桜を見上げて何を思うんだか。 ちょっと見やって、あれと思う。 今日は口紅まで桜色。半開きのその唇。遠い眼。 そこで視線があった。きょとんとしてからにっこり笑うから。 ドキッとした。 いつも。 桜が開くみたいに笑うんだよな、おまえ。 俺に向かって。 心臓に悪いぜ。馬鹿。 照れ隠しだったのだが、知らずに天羽はイベントに手を伸ばした。 箸の先に出汁巻き卵ー。 伊倉とじゃれていたさくら。飲んでいたカヲル。視線をあわせた直後のあたる。 ３人の視線が一気に集中した。 なにしろこのおかげで、朝のドタバタに間違いなく拍車がかかっていたのだから。 そんなこと知るわけもない天羽は、それを一切れ箸で取り上げると、 バクッと迷うことなくかじりついて。 それから気づく。３人の視線。あ？ 「な・・に？ 俺の顔になんかついてる？」 ３人はあわてて首を振る。 事情を知らない伊倉まで天羽の顔を見て。 「特に何もついてないみたいだけど・・・何で見てるんだろうね、３人して。」 さくらがギュッとつねったので、跳び上がる。 「いてっ！」 カヲルがさりげなさを装って聞いた。 「出汁巻き卵、天羽さん好きだって聞いたから。・・・どうですか？」 あたるは笑顔が貼り付いて、耳だけ澄ませてる。鼓動が大きいよ〜。 「ん、うまいよ。」 ふはぁーーーーー。 ３人の詰めた息が一気に抜ける音が・・・聞こえるわけもないが。 「味はこの上ないねー。俺、こういう味好きなんだ。懐かしい感じじゃん。」 ほころびかけるあたるの顔。 「でもさ、俺忙しいのに無理言ったかな。焼き方がずいぶんムラがあったね。」 お重にはサンプルとしてカヲルが作った出汁巻きと、 あたるが作ったのと並べてあったのだ。 天羽はカヲルの作った方をもう一切れ、口にほおりこむ。 「これは完璧だね。こっちは時間なくてあせったんだろ？ 悪かったな、勝手言って。」 しびれをきらせてさくらが乱入した。 「違うよ、天羽さん。」 「は？」 「さ、さくら。」 あわてたあたるにまるで構わず。 「そっちのムラのひどいほうはあたるだってば。」 「へ？」 天羽がびっくりしてあたるを見るから。 あわてて横を向く。あーあ。ばれちゃった。 「でもまあ、『ムラ』程度に思われたんなら、成功じゃないの？ あたる。」 涼しい顔で言われてあたるは赤い顔。照れ隠しに鼻の頭をかく。 「・・・そうかな。」 天羽はその指の絆創膏に気づく。ゆうべはなかったのに。それも両手の指。 「なんだ、あたるちゃん。健気だね。おいさくら、おまえはどれ作ったんだよ。」 「これ！」 さしだされたタコさんウィンナーを伊倉はパクリ。 「・・・ウィンナーの味がするけど。」 「あたりまえじゃん！ 形を愛でてくれなきゃ。タコでしょ、カニでしょ。」 「愛でるなら美人の方がいいんだけどなぁ。」 「何か言った？」 かけ合い漫才を始めたふたりはほっといて。 天羽はあたるの顔と指をつらつらと眺め、ニヤッと笑った。 「なるほどね。そういうこと。それで視線が痛かったのか。」 「あ・・あの・・いや、だからね。」 言いつくろう言葉が出てこない。 「さっきはカヲル君に気ぃつかったんだけどさ。」天羽は手にしたままの箸を振る。 「焼き方ってどうやっても味に影響するんだよな。」 「・・・うん。」 「どうみてもこっちが見事に焼けてるってことは、どう食べても、こっちがおいしいってことだろ。 味付けが同じなら尚更。一般的には。」 意地悪な言葉にあたるがうつむく。 「そう・・・だけど。」 「でも。おまえは俺に作ったんだな、これ。」 「う・・・ん・・。」 天羽が何をしてるのか、しょげてしまったあたるには見えてない。 「なら責任はとってやるよ。」 「え？」 顔をあげると天羽の前の取り皿に、あたるの作った出汁巻き卵が全部乗せてある。 あたるのもの問いたげな視線に、天羽がうそぶく。 「ちゃんと片づけてやるよ。だからさ。」 「・・・だから？」 「料理で怪我するのはほどほどにしろよな。危なくてリクエストも言えなくなるだろ。」 パッと両手を後ろに隠して。あたるの顔は再び真っ赤になった。 ほんと、しょうがねえよなぁ。 天羽は形はともかく味はそれなりの卵を、又一切れほおりこむ。 ん。うまいじゃん。 フッと微笑んで、まだ赤くなったままのあたるを楽しんだ。 そんなふたりを見ながら。 カヲルは安心して、それからちょっと寂しくなる。 やっぱり近くにいるといいよなぁ。 自分で選んだ道だけど。こういうときはほんと、距離が恨めしい。 簡単には顔も見られないんだから。 でも。そう。自分で選んだんだから。誰に文句を言ったってしょうがない。 自分を高めよう。次に逢えるまでにはもっと。 いつか。一緒に桜を眺めたい。産まれてくる子どもと３人で。 見上げる桜にささやかな願い。 これからくる季節に向かって。 飲んでしゃべって。しゃべって食べて。 話は尽きず、宴は続き。 やっと腰を上げようと思ったときに、ベロベロになっていたのはあたるだった。 「えぇ〜、もぉっと飲もうよぉ〜。」 空の酒瓶を抱きしめて動かない。 「あたるってば。もうじき日が暮れるから。」さくらがウンザリしたように揺すぶる。 「いいじゃん〜。夜桜見物しようよぉ〜。ね？ ね？」伊倉に迫る。 「あたるちゃん、俺はゆうべやったんだって。」 さすがに疲れている伊倉。 「えー。ずるい〜。カヲル〜、カヲルはつきあってくれるでしょぉ〜。」 今度はカヲル。 「パス。俺も帰って今夜は寝たい。弁当で張り切りすぎた。眠いって。」 「えーー。」 なぜか天羽には訴えないで、 荷物を片づけてしまったビニールシートにひとり転がると駄々をこねる。 「やーだー。もうちょっと飲むー。」 全員が顔を見合わせて脱力状態。 「・・・天羽さん、出番よ。」さくらがあっさり言う。 「そうだね。頼むよ。」伊倉が追随する。 「それが一番だな。」カヲルまで容赦ない。 「俺に選択肢はないわけ？」苦虫潰したような天羽の顔。 「ない！」３人に口をそろえられてがっくり来る。 「じゃあね。」 「悪いね。」 さっさと逃げるさくらと伊倉。 その後ろから行きかけて、カヲルが振り向く。 「なんなら引き取っていきましょうか？」 目が笑っている。苦笑する天羽。 「手に負えなくなったら頼むかも。」 「了解。」 手を振って帰っていくカヲル。見送った天羽は足元に目を戻す。 「おい。あたる。」 が、答えがない。まさか。 あわててのぞき込んだら、すでに夢の中のあたるがいた。 気持ちよさそうに寝息をたてている。 「・・・うそだろ〜。おまえねぇ。」 へたり込んだ天羽のため息。 「ったく。俺は明日仕事があるんだぞ。出汁巻き卵じゃ割に合わないって。」 その声が聞こえたように、寝返りを打ってぱたりと手が落ちた。 「・・・カヲル〜・・・」 呼んだ名前に眉を上げる。 「・・・む・・ずか・・い・・よぉ・・・・まだ・・や・・る・・の・・・・」 その指に絆創膏。天羽の眼が柔和になる。 誰にともなく肩をすくめて。 もう一度ビニールシートに座ると、あたるの頭を膝枕してやった。 「担いで帰るのもめんどいしな。あとでおぼえとけよ。」 思いっきり呆れた口調だけど。 少し風が強くなって。はらはらと桜がふりかかる中。 あたるの寝顔を眺めながら、浮かんでいる笑みは優しかった。 来年も。 花見ができるといいな。一緒に。 桜は答えるように身を揺らして、ふたりに花びらをそそいだ。 願いを受け止めるように。 春の１日−。 ＜mirai-yosozu/sakura end＞ |