Ｐａｓｔ　Travel　５．「Calling　-2002xmas-」

シリーズ「Past　Travel」　５．　「Calling　－2002xmas-」

小さなコーヒーショップのその店に。
カラン。
ドアの音と共に入ってきたのは、見なれない男だった。

サングラスに癖のある髪。背が高くて細身の体。手にはメット。
店主よりはずっと若いだろう。
「ブレンド。」
それだけ言うと、カウンターに腰掛ける。
皮のコートに雪が残る。
「降ってますか？」
店主はドリッパーに引いた豆を落とし込みながら聞く。
「ああ。この辺って結構降るんだ？」
「そうですね。最近はあまり降らなくなった方です。」
「ふーん。」

しゅんしゅんと沸いたやかん。
細長い口から注ぎ込まれる熱湯が、コーヒーを雫にする。
「でもちょうどいいですね、今日は。」
「ちょうどいいって？」
「イブだから。雪が似合うでしょ。」
男は思いがけぬことを言われたという顔になる。

「あれ。お客さん、今日がイブだって忘れてました？」
「・・・・っていうか、気にしてなかった。そっか。２４日か。」
確かに。残念そうでもない声で苦笑している。
店主は香り立つブレンドコーヒーを、客の前に置いた。

「旅ですか？」
「ああ。」
「どこから。」
「東京。」
「どこへ？」
「あてはないんだ。」
「イブに待ってる人もいないんですか？」
「いたらここにいないだろ。」
男はそういうと、コーヒーを口に含む。ちょっと味見するようにして。
「・・・美味いな。」微笑んだ。

「ありがとうございます。」店主が嬉しそうに返しながら、窓の外を見る。
「結構降ってきますね。お客さん、１０分だけここにいてもらっていいですか？」
「かまわないけど・・。」
「買い物済ませてきたいんで。」
「いいのか、始めての客を信用して。」男が眇になる。
「人を見る目はあるつもりです。すいません、すぐですから。」
あっという間に出ていった店主。
男は肩をすくめて、カウンターでコーヒーを飲みつづける。

カラン。
開いたドアに小さな女の子が現れた。
ふわふわした栗色の髪にピンクのオーバー。足元は長靴。
「・・・お父さん？」
答える声はない。
代わりに、いぶかしげに振り返ったのは知らない人。

「ここんちの子か？」
その女の子は見上げてうなずく。その眼が涙目なのに驚きながら。
「今買い物に行ってるぞ。・・・・どうしたんだ？」
つい聞いてしまったのは、大きな目からまた涙がこぼれそうだから。
「・・・・幼稚園のお友達がね。サンタはいないっていうの・・・。
　あたしがプレゼントもらったよっていったら、それはお父さんだって。」

目を丸くする。笑みをこらえながら。
こんなかわいい悩みは俺にはあったっけ。もう思い出せない。
しゃくりあげる声。小さな手が涙を一生懸命こすっている。

男は手を差し伸べる。
だがその子の顔に怯えを見て、ああとサングラスをはずした。
意外なくらい優しい眼に少女の表情が緩んでから、ひざに抱き上げる。
まだ涙をたたえながら、でもまっすぐ見つめてくる眼。
「お父さんはね、ずっとサンタはお母さんだよって言ってたの。
　プレゼントはお母さんからの贈り物だよって。」
「お母さん？」
「死んじゃったの。まだ逢ったことないの。」

その目からまた零れ落ちるしずく。
なんとも惜しげない輝きで、ピンクの小さなオーバーも濡れる。
『まだ』という言葉。
死がなんであるかわからない幼さは、切ない。
「サンタはお母さんだから、いつか逢えると思ってたの。
　逢って。抱っこして。・・・名前を呼んで欲しかったの。」
少女は母親を求めているだけなんだろう。

「・・・サンタがお父さんじゃ嫌なのか？」
その問いに。
しずくをこぼれさせた目は少し大きく開く。
「・・・嫌じゃない・・・けど・・・。お母さん・・・・。」
「お父さんとお母さん。二人ともサンタってことだ。」
「・・・ふたりとも？・・」
「そう。逢えないお母さんの分も。お父さんがプレゼントを届けてくれてるんだ。」
詭弁なのかもしれないけれど。それが必要なこともある。

「大事なのは。
　そうやってプレゼントを届けてくれるお父さんの気持ちだろ？
　お母さんに逢いたいのはお父さんも同じなんだ。
　だから、お父さんはお母さんの分も名前を呼んでくれてるし、
　お母さんの分も抱っこしてくれてる。よく聞いて、ギュッと抱きついてみな。
　きっとお母さんの声も聞こえるし、お母さんの抱っこも感じるから。」

こんな小さな子に何言ってるんだろう。でも。
幼いころ、クリスマスの朝に。
プレゼントを見つけて歓声をあげていた俺と姉貴。
それを見ていたおふくろと－親父の。あの笑顔が。
今ならよくわかる。今でも思い出せる。
壊した自分に胸は痛んでも。

「お父さんのこと、好きだろ？」
「・・・うん。」
「きっとお父さんもおまえのことが大好きだよ。お母さんも。」
「・・・ほんと？」
「ああ。間違いない。賭けてもいい。」
少女はいつのまにか涙を止めていたが、やがてゆっくりと顔をほころばせた。
「あたしも。お父さんと・・・逢えなくてもお母さんが大好き。」
「・・・ああ。」
素直に、そう口にできることの幸せ－。

カラン。
また開いたドアは、店主が開けたもの。
「すいません、お待たせして・・・真里亜。」
マリア？
その名前にちょっと驚いたけど、呼ぶ声はとても優しかった。
「お父さんっ。」
少女は男の手から滑り降りると、店主のところへ駆け寄って抱きついた。
跪いて娘を抱きしめる店主の笑顔。

「そうか。今日は早いんだったな・・・ん？　どうした？」
涙の跡に気づいて、少女と男を見比べる店主。男は知らん顔で言う。
「帰ってきたらそこで転んじゃったんだ。な？」すばやいウィンク。
「・・・うん。」少女は口ごもって、でもうなずいた。
「なんだ、しょうがないな。すみません。」
「いや。娘さん？」
「ええ。やっと幼稚園なんですよ。」
「マリア・・・って名前なんだ？」
「漢字で書くんですけどね。」
「へえ。イブにぴったりの名前だな。」
男の言葉に、店主も微笑んだ。
「妻がつけた名前で。優しい人になりますようにって。それで・・・真里亜。」
甘い響き。
その横で見上げる少女が嬉しそうだ。
「・・・よく似合ってるよ。美人になるだろうし。楽しみだな。」
「ありがとう。」

席を立って。
「いくらだっけ？」
「いえ。いいですよ。留守番させた上に娘の面倒まで見させちゃったし。」
「・・・いいのか？」
「イブですから。」
店主がにっこり笑った。
「・・・じゃありがたく。・・・もう泣くなよ？　マリア様。」
「お兄ちゃん。」

少女は男のところまでくると、両手を差し伸べる。
「ん？」
しゃがみこんだ男の頬に、ふわっとやわらかな唇の感触。
男の眼が大きく見開く。
「ありがとう。・・・お母さんが呼んでくれる声が聞こえたよ。」
小声だけど満面の笑顔に、ふっと笑ってその頭をクシャッとなでた。
「そっか。サンタのプレゼント、楽しみだな。」
「うん。」

男は立ち上がるとサングラスをかけ直す。
「楽しかった。元気で。」
「こちらこそ。メリークリスマス。」
片手を挙げると男は店を出ていった。
カラン。
振り返った目に、店主と少女の笑顔が残った。

バイクにまたがってから思う。
名前－か。
呼ぶのは家族くらいだった。もう忘れていた感覚。
『　良之　』
他の誰かにそう呼ばれることが。
それを切ないほど望むことが。この先あるんだろうか。

あの小さなマリア様みたいに？　メットで覆った口元を苦笑で歪める。
さて今夜のねぐらを探すか－。

イブの雪の中。
彼のバイクはやがて、薄闇へ消えていった。
今夜はサンタのそりもすべりがいいだろう。

背にした過去から。
足元の現在から。
まだ見ぬ未来へ－。

Merry　Christmas　for　everyone－－。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜　Calling　／　ｅｎd　＞