Ｐａｓｔ　Travel　２．「バイク便・ジェイク」

シリーズ「Past　Travel」　２．　「バイク便・ジェイク」

ブロロロォォォ・・・ン。

長い尾を引く爆音。
バイクは、スピードを落として市街に入った。

そのまま市街のメインストリート、サイドストリート、細道、横道、一方通行。
およそバイクが入れる限りの道を、手当たり次第に辿っていく。
道に迷っているようにも見えて、そのくせただ遊んでいる風にも見える。

１時間近く走り回って。そのバイクはロータリーで止まった。
乗っていた男は、自販機でブラックの缶コーヒーを買う。
「・・・なんとかなるかな。」
そうつぶやいてグイッと飲み干す。

見上げた空に秋の気配。
空き缶を脇のゴミ箱に放り込むと、男はもう一度巡り始めた。
どこに続くのかわからない道を。

翌日。
彼のバイクが走ってくる。次の荷を拾うためだ。
「・・・榎出版。あれか。」
目的地は中堅の出版社で、メインストリートに面していた。

バイクを路肩に止めると、受付で聞く。
「第３編集は？」
「３階へ。」
閉まったエレベーターが横目に入ったので、階段を駆け上がった。

出版社はどこも似たような風景だ。
別れているフロアも何故か一体化した雰囲気がある。
むろん中で働いている人間にすれば、温度差はあるにちがいないのだが。

「バイク便の『ジェイク』だけど。荷を取りに来たんだ。」
手近の人に尋ねる。
「えっと、編集長－？」その男が首を巡らす。
「こっちよ。」声がした。

「あれが編集長だから。彼女に聞いて。」
手を振っているその女性に近づく。
長い髪を後ろに束ねあげて、かっちりした茶色のフレームのメガネをかけている。

「あら、初めて見る人ね。」
「バイトだから。」伝票を差し出す。
「そう。うちに来る人ってあまり変わらないんだけど。」
「いつもの奴が休みをとってて。その間だけのフォローってことで。」

「大丈夫なの？」書いた伝票を渡す。
「さあ。やってみる。」まるっきり愛想のない返事。
「なにそれ。うちはお宅にはお得意さまのはずでしょ。」
その女性編集長が眉をひそめる。

彼女よりはたぶん年下のそのバイク便は、
パーマッ毛の髪をかきあげて伝票に目を走らせる。
「必要なのはスピードと確実性。それ以外は聞いてない。」
こっちへ向けた視線が鋭くて冷たい。

「言うわね。じゃあやってみせて。」彼女は時計を見上げる。
「１２時までに後藤印刷へ入稿。」
時計は１１時４５分。後藤印刷まで普通に見積もって２０分。
すでにすれすれ。普通は間に合わない。
「了解。」

わかっているのかいないのか、平然と封筒を受け取ると、男は背を向けた。
歩き去っていく男の背中を、彼女はちょっと面食らって見ていた。
「・・・たいした自信ね。お手並み拝見。」
初めてのバイク便にはあまり無茶はさせない方がいいのだが。
言ったからには証明してくれるんでしょうね。確実性とスピード。

この時間帯のメインストリートは渋滞する。
いくらバイクとはいえ、初めてだとまず間に合わないだろう。
間に合わなくて当たり前の設定だが。
「まあ、駄目元よね。」
じつは締め切り時間は１時だから。着けばいい。
届けられなかった時の、彼の顔が見たいな。
人の悪い笑みを浮かべた後、彼女は意識を切り替えて仕事に戻った。

仕事に没頭して、我に返ると２時。食事も忘れていた。結構そう言うことは多い彼女。
「あー、なんか食べてこようかな。」
そこで思い出す。あのジェイクボーイ、どうしたろう。
印刷所のリミットは１時だったから、１２時過ぎても特に連絡が来るわけもないが。
確認しておこうと電話をとった。

「もしもし、榎出版の栗田ですが。昼頃そちらへバイクで送った原稿、届きました？」
「えーっと、あ、はい。１２時前に確かに。」
「・・・１２時前？」
「ええ。月刊号のカラーですよね？」
「ええ・・。ほんとに１２時前ですか？」
「はい。受け取りを書いたところで時報が鳴ったんで。それが何か？」
「あ・・いえ。届いてるならいいんです。よろしくお願いします。」

電話を切ってから舌を巻く。
あの時間で１２時前に間に合わせた？　・・・言うだけのことはあったわけね。
雰囲気と言い態度と言い、どう見ても素人っぽかったのに。
あのバイク便の男ー。
やたら印象に残ってしまった。それが妙に悔しかった。

翌々日。再び頼んだ『ジェイク』。
期待半分でいた彼女の前に、現れたのはやっぱり彼だった。
「・・・文句あるなら代わるぞ。」
腕組みして仏頂面で。やっぱり愛想なしだ。

「証明したじゃない。確実性とスピード。
　あの時間で間に合わせるなんて大したものよ。」
素直に称賛した彼女に、男は意外そうな顔。

「何よ。」
「いや。・・・今日も急ぎじゃないのか。」
「急ぎよ。でもこないだほどじゃないわ。これ、２時までだから。」
封筒を渡す。時計は１時３０分だから、たっぷり時間はあるってことだ。
「ＯＫ。確かに。」
受け取った男はさっさときびすを返した。

「ねえあなた。」
廊下で呼び止められて振り返る。彼女が出てきた。
「制服も着てないのね？」
普通バイク便は制服を着ているのが普通だが。
「・・・あの制服は嫌いなんだ。」
「そんなわがまま通るんだ？」
「俺は短期の穴埋めだし。腕があればってことさ。」

それでさっさと階段を下りていった。
見送った彼女はちょっと首を傾げる。
「なんか・・ほんとに風来坊っぽい。」
その身軽さがうらやましい気がする。
「編集長～」
「今行くわ。」
ホッとため息をついて、部屋へ駆け戻った。

その日の夜。
珍しく早上がりで飲みに行った彼女。
なにしろ編集なんて、時間がやたらめったら不規則で、
さらに作家やイラストレーターのあがり待ちだったりするから、あてにならない。
約束なんてあってないようなものなのだ。
携帯は身から離せない。特に彼女のように、編集長ともなると余計に。
でも時にそれは、縛られている自分を自覚させるものだった。
何に？

飲むときは一人が多い。
むろん、部内のメンバーと飲むこともあるのだが、
編集長となった時点で、自分を解放するためには一人での発散が必要となったのだ。
大抵静かなＢＡＲとかラウンジ。
女性が一人でいても、おかしくなくて、ほっといてくれる場所。
顔見知りのバーテンが、好みのカクテルを出してくれる。

「久しぶりですね。」
「このところ、忙しかったのよ。」
二言三言。あとは静かに過ごすのがいつものパターン。
ホッと気を緩める場所。

なんだけど。
なにげに横を向いたら目に入った彼。
なんでここに？
思う間に視線がぶつかった。

「・・・あんた。」
「こんなとこで逢うとはね。」
そう、バイク便の男。
「あなたくらいの若い人って、もっとにぎやかな方が好みじゃないの？」
隣に座って目があったんだから、話してみるかな。そんな口調。
「話すのはめんどくさい。」
「は？」
「だからここにいるんだ。あんたもだろ？」

要約すると話しかけるなってこと？　ほんとにストレートだわね。
もはや呆れる気もしない。
「でもせっかくだから、話しかけたいんだけど。」
「・・・好きにすれば。返事の保証はないぜ。」
少々強引だけど、興味があった。

「バイトって言ったわよね。失業でもしたの？」
「旅してる。その場でやれる仕事があれば短期で引き受ける。それだけ。」
「そういうこと。じゃ、ほんとに短期？」
「１週間。３日前から。」
じゃあと４日？

「え？　土地の人じゃないの？」
「旅してるって言ったろ。ここは５日前に初めて来たんだ。」
「嘘。だって、うちから印刷所まで素人があの時間で行ける分けないわよ！」
その台詞に初めて反応すると、彼女の顔を見て言う。
「ふーん。行けるわけない時間で行かせたわけね。」
ぐっと詰まった。そのとおりなのだから。

「・・・間に合わなくても文句言う気はなかったわよ。」
「どうだか。ま、俺にはどっちでもいいけどさ。」また視線がグラスに戻っていく。
「で。どうして行けるの？　あの時間で。」しつこく聞く。
「・・・５日前にきた。そこでバイトに誘われて。４日前に行ける道全部チェックした。
　で、３日前からやってる。」

つまり、４日前に全ての道を覚えたってこと？
信じられないけど・・・嘘ではなさそうだ。
過剰な自信とプライド、それを裏付ける努力を垣間見た気がした。
そういう人間なのか。たかがー、１週間のバイトも完璧にこなすんだ。

「いやな奴ね、あなた。」
漏れた言葉は自分でも予定外。彼はちらっと彼女をみる。
「だろうな。別に好かれたいわけでもないし。」
「そういう意味じゃないわー。人のコンプレックスを刺激するって言ってるのよ。」
「コンプレックス？　あんた、編集長だろ、あそこの。ＴＯＰが何言ってるんだか。」
ちょっと呆れた風に傾けるグラスはロックだ。

「編集長っていっても、あたしのは張り子のトラみたいなものだもの。
　あなたみたいに裏付けも実力も伴わないのよ。」
年下の、それもフリーターに何言ってるんだろう。
わかっていても、このところの忙しさとたまっていたストレスが暴走する。

彼女が編集長になったのは、前の編集長がトラブってやめて。
年功序列と土壇場の救済。誰でも良かったのだ。その場所に置けるなら。
可もなく不可もない安全パイの雑誌なのだから。

おかげで、割を食ったのは彼女一人で。
部内では浮いてしまい、恋人には忙しくて会えなくなって。文句を言われて。
とうとうケンカして、この２週間連絡もくれない。
別れ話が怖くて、こっちからもかけられない。

そりゃあ仕事は好きだけど。
好きだからやってきたんだけど。
この人みたいにー、プライドと自信なんて持ってなかったんだ。少しも。

「それは自分の責任だろ？　俺の知ったこっちゃない。」
あっさり斬り捨てられる。まさしくそのとおりだ。
「大体、あんたの愚痴を聞かされる義理だってない。」
鋭い眼光でにらまれて怯んだ。
八つ当たりなのはわかってるから。

「・・・悪かったわよ。」
そう言って体の向きを変えて話を打ち切ると、カクテルをあおった。
２，３杯。続けて。
「お客さん、食べてないから。あんまり飲まない方が。」

もともとそんなに強くない。
それを知っているなじみのバーテンが気にしてくれるけど、
空っぽな気分で止められない。
「大丈夫だから。もう１杯ちょうだい。」
さらに何杯か飲んで、意識が薄れた－・・・。

「おい、あんた。おい。」
誰かが揺すってる。
「ん～、なに～？」
「閉店だ。出ないとまずいぞ。」
これはあの・・・バイク便の声だ。

「えー？　もう・・？」
「もうじゃねえよ。１時過ぎ。」
「・・・ここ、もっとやって・・る」
「今日は早じまいだって。最初に聞いたろ。」
呆けた頭を捜す。
ああ、そういえば来たときにバーテンが言っていたような。

「ほら、立てるのか。」
「わか・・・ったって・・。」
グラグラの頭を支えられつつ、なんとか店を出た。
外の空気は冷たくて気持ちいいけど、やっぱり飲み過ぎた。
またしゃがみ込む。

「おい、大丈夫か？」
「・・・なんであなたが面倒見てるの？　あたしの。」
「みてもらっててずいぶんな台詞じゃん。」
「頼んでないわよ・・・っていうか、ほんとになんで。」
「成りゆきだよ。最後までいたせいだ。」
「そう・・。」

いきなり彼は離れていく。そりゃそうよね。
見知らぬ酔っぱらいの女なんて構わないもの。普通は。
頭を抱えてそこに座り込んでいたら、上から声。
「ほら。水。」
ゆっくり見上げた目にペットボトルが映った。差し出している彼。

「・・・ありがとう。」
わざわざ買ってきてくれたのか。
とりあえずごくっと飲んで。ああ、喉乾いてたんだな。
一気に傾けた。おいしい。
「ちょっと目が覚めたろ。」
彼はそういうと、隣に座り込んで煙草を吸い始めた。

なんか。
なにやってもどこでやっても、妙に様になるのよね、この人。
やることなすことに、どこかきっぱりした自信が見える。
それが悔しくて。

「あなたってさ。」
「あ？」
「不安とか、情けなさとか、後悔とか、そういうものに無縁でしょ。」

その途端。
彼の表情が変わった。こっちへ向けた眼に燃え上がった怒り。
つり上がった眉。きつい口調。
「俺があんたのことを知らないように、あんたも俺のことは知らないんだ。
　自分が苦しい言い訳を人に押しつけるのは、卑怯者じゃねえのか？
　不愉快だ。」

あたしは自分で言ったことを恥じた。ものすごく。
卑怯者。そうだね。
出来ない自分を棚に上げて、出来る人をただうらやんでいるだけなんだ。
わかってるのに。

「・・・ごめんなさい。」
うつむいて地面をみつめる。涙が滲んだ。
なんでこんなところで、ろくに知りもしない年下の男に、
こんな情けないことぶつけて、しかも軽蔑されてるんだろう。
自己嫌悪の嵐。

一瞬の怒りが過ぎ去ると、彼の声はすぐ凪いだ。
「ぶつける相手が違うんじゃねえの？　彼氏いるんだろ。」
「・・・どうして？」
「眠ってるとき、携帯鳴ってたぜ。着信みれば。」
「え？」
あわてて確認したら、ほんとに入ってる。それも３件。１時間おき。

「・・・どうして彼氏ってわかるの？」
「勘。鳴り方がそれっぽかった。」
「嘘。」
携帯の鳴り方が関係によって違うわけないのに。
でもなんか、この人が言うとほんとっぽい。

「ちゃんと彼氏に当たれよ。たぶん待ってるぜ。」
煙草を潰すと、男は立ち上がって歩き出した。
「タクシー拾えよ。もう平気だろ？」

後ろ手に振った手で気づく。
あたしが落ち着くまでつきあってくれたのか、ここで。
余裕だな。

それはさりげない優しさ。
あたしも。もっと自信を持ちたい。自分に。
着信を睨んで。恋人の番号を鳴らした。

「・・・もしもし。」
「・・・何回かけさせるんだよ？」
機嫌の悪そうな、でも久しぶりの恋人の声。
「ごめんなさい。」

「仕事か？」
「・・・う・・・ん。」潰れてたとは言えないなぁ。
「あんまり連絡よこさないから。怒るぞ。」
「怒ってなかったの？」

「・・・地雷踏む気かよ。」
「あ。あ。嘘。ごめん、ごめんなさい。だって、電話くれないし。」
「だからしたろ？　３回も！」
「あ、うん。そっか。」
あわてまくってるあたしにとうとう吹きだした。

「ったくおまえって。それでよく編集長やってられるよな。」
「できないから・・・めげるんでしょ。」
「やってるじゃん。頑張ってるさ。わかってるよ。」
情けないあたしを包むように。

「・・今どこだ？　早く来いよ。」
「・・・うん。」
優しい言葉が泣きたいくらい嬉しかった－。

それから３日後。
再び頼んだ「ジェイク」。
今度はホントに切羽詰まってた。

地方からの原稿があたしのミスで、１０時に届くはずが１１時半。
入稿は１２時リミット。
おまけにいつものところじゃない印刷所で。４０分はかかる。

１１時を過ぎた時点で頼み込んだ「ジェイク」。
彼を指定した。半ば無理矢理。どうしても彼に頼みたかった。
１５分に来た彼を１５分待たせて。その間に場所を説明して。
１１時半、原稿到着と同時に飛び出す。

「間に合う？」
「間に合わせる。」簡潔な言葉に自信。でも。
「事故は駄目よ。」
「見くびるなよ。」

ニヤッと笑った。その顔を見てなぜか安心した。大丈夫。
これが落ちたらあたしの責任。
でも。彼で駄目ならしょうがない。そんな風に思えた。

空には鰯雲。
印刷所から連絡が入った。
原稿が届けられたのは１２時ジャストだった－。

彼はそれで消えてしまった。
翌週現れたのは、その前からなじみの青年だったから。
「すいません。旅行で１週間休んじゃって。バイト、大丈夫でしたか？」
大丈夫どころか。

わずか１週間。出逢いは４度だけ。
結局名前も聞かなかった。
でも。

彼にあったことで、あたしの人生はずいぶん違ってきたように思う。
仕事へのプライド。自信。
そういうものを初めて意識した。
それから、恋人に素直に頼ることも。

気になったのは、あたしが漏らした一言への彼の怒り。
同じ場所で、編集長を続けながら。
あたしは時折思い出す。

彼のバイクは今、どこを走っているのだろう。
願わくば。
その後ろに誰か、優しい人を乗せてますようにー。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜Travel.2　end＞