ごった返す校内で、アリスは一際目立っていた。


スタンプラリーは１０時から２時まで。やたらと人目を引く格好はなかなか面倒だ。周囲に愛想を振りまきながら、実紀は自分を見下ろした。

自分なら買うどころか近寄りもしないだろう、フリルいっぱいのふわりとした膝丈スカートは被服部の手作りだ。着替えた時に鏡に映した姿を思い出しながら、仕方ないと実紀はあきらめる。なんといっても自分は発案者のひとりだ。身から出た錆、とは言いたくない。


「スタンプラリー・イン・NARA」は去年大好評を博したイベントのひとつで、今年も文句なしに再登場となった。校内に散らばっているコスプレキャラクターをみつけて、簡単なクイズに答えるとスタンプが押してもらえる。数によって景品もある。

３つで出店のジュース、５つでプチケーキ。７つでスナックセット。１０個で楢高タオル。シークレットキャラも含めてフルキャスト分１５個集めた先着１０名には楢高ストラップがもらえる。

シークレットキャラは扮装も明かされない上に隠れているので、全員捜し出すのはかなりマニアックな努力がいる。そこが今時のゲーム感覚にマッチしたらしくて、去年も大人気だった。


実紀が扮しているのはベーシックキャラのアリス。小さい子でもみつけられるように一番派手なので、一番声をかけられやすい。
「そもさん！」
ほらきた。

「せっぱ！」
振り返ると小学生とそのお母さんだろうか。女の子の目が輝いている。お姫様風ってやっぱり憧れかしら。

「クイズです。私が迷い込んだ穴は何の穴だったでしょう？」
小学生相手なのでかなり簡単。クイズは相手によって多少難易度が上下する。

「うさぎ！」
「正解！　スタンプをどうぞ」
腰から下げている５センチ角のスタンプは、木工クラブの力作だ。アリスの顔がかわいいと好評。

「３つ目ね。ジュースはどの店でももらえるから」
「ありがとう。５つでケーキでしょ？　白うさぎ見つけるんだ」
「がんばって」

言うまもなく次の声。
「そもさん！」
「せっぱ！」

このかけ声が意外なほど受けた。古いアニメから拝借したのだが、キャラとの組み合わせが妙におかしいらしい。今度は大学生風の男子。こっちを見る目つきがイヤらしいので難しくしてやろう。

「楢高の楢。英語でどうぞ」
「げ。え、えーっと」
「１０、９、８…」

「うわ、待って」
「４、３」
「パイン？　ウィロー？」
「残念でした時間切れです〜、ダッシュー」
その後ろで待っていた客も置き去りだ。

「え、え？」
「待ってー」
キャラは質問の切れ間に逃げることは許される。キャラの中でも実紀の逃げ足は天下一品。短距離で県トップ、全国でも五指に入るのだからあたりまえのこと。



人並みを軽く縫ってたどりついたのは、剣道部が開いてる焼きそばカフェだった。康平の横顔が見える。飛びつこうとした実紀は遮るような女の子の背中に気づいて思わず隠れた。康平の邪険な、それでいて優しげな声が聞こえる。

「無理だって真衣。今忙しいんだ。手が離せない」
「ええー、だってえ」
「ほら、食べ終わったら行った行った」
追い払われ不承不承離れていくのは康平の妹、真衣だった。友達と一緒に遊びに来たらしい。

「うわー、真衣のお兄さんってチョーイケメンじゃん」
「でしょでしょ」
自慢そうな横顔がどこか、彼に似ている。
「あれならぜーったい彼女、いるよね」
「……知らない。ね、今度はこっちの」
すぐそこを横切る彼女の、尖った口調がつきっと胸に刺さった。なんだかなぁって思う。


康平とつきあうようになって丸３年。家も何度か遊びに行った。彼のお母さんは明るくて優しい人だが、どうも妹とはソリが合わない。見るからにお兄ちゃん子だから焼き餅なのはわかってる。きっと康平の彼女が誰であろうと気に入らないだろう。わかってるのに。

つい張り合ってしまうのは怖れているのかもしれない。いつか家族に負けてしまうんじゃないかと。康平の密かな夢を知っているのは自分だけだ。その夢に自分も荷担している。実紀の望みも康平の夢と合致するから。でも、康平が夢と同じくらい家族を大事に想っていることも知っている。


夢と自分を左に、家族を右に。
康平の天秤はゆらゆらと定まらず揺れ続けている、ずっと。
もしかしたら、もしかしたらいつか。


「何やってんだ実紀、こんなとこで」

テントの裏でしゃがみ込んでいた実紀を見つけて、防具の替わりにエプロンつけた康平が手招きする。
「ほらこっち」
「う、ん」
立ち上がりながら物思いを振り払った。

各キャラはイベント中でも３０分の昼休憩が許されている。カフェの裏方に紛れ込んでやっと一息ついた。片手にやきそばの皿。足元には炭酸の瓶。周囲も顔なじみばかりで労ねぎら　いながらアリスの扮装に賞賛の嵐。

「お疲れさん。追われるのも大変ね」
「でもかわいい」
「部長、惚れなおしますね」
「ひょっとしてロリとか？」

「バカ。ないない」
「ほんとですか？　実紀さん、どう？」
「ロリじゃ困るわよ。あたしこういう格好苦手だし」
ねえと首を傾げる様子にわっと笑いが起きる。

「かっわいい〜」
「ほんとになし？　もったいない」
「先輩、写真撮りましょ写真」
「やった、一緒にいいですよね」

「集まれよ」
「俺も俺も」
「まってー」


康平と自分の周りを囲むにぎやかな人垣。その真ん中にふたりでいられる幸せ。彼のとぼけた表情はたぶん照れているから。

平気よ。
きっときっと、大丈夫。

「チーズ！」
ここぞとばかり彼の腕にしがみついた実紀は、カメラに向かってニッコリ笑った。


時は止まらない。でも一瞬一瞬をいとおしんで一緒に積み重ねていけば、きっと望みは叶う。そう信じている。たとえば。

ソースの濃い味に見交わす視線とか。
炭酸でしゅわしゅわ痺れる舌とか。
手鏡見ながら必死にぬぐった青海苔のかけらとか。

それから。
テーブルの陰でつなぐ手の温もりとか。


「ご馳走様」
立ち上がった実紀に康平がうなずいた。
「おう、頑張れよアリス」
「もちろん。後夜祭わかってるよね」
「はいはい」

気軽な返事が怪しい。フォークダンスなんて彼の性に合わないだろうけれど、明日ばかりは問答無用だ。絶対。

「逃がさないから」
「逃げられっこないだろ、おまえから」

その返事に満足した実紀は、最高の笑顔でやきそばカフェを後にした。うしろからピーピーと冷やかしで飛び交う口笛は無視だ。


家族よりも誰よりも、彼のそばにいるのは自分だと信じよう。
充電完了。さあ、アリスは逃げなくちゃ。
そうそう、真衣ちゃんにはなるべくみつからないように。


まだまだ続く文化祭。
人波に紛れてアリスは消えていった。





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