自分の容姿を知っている女。
自分の容姿が嫌いな女。
自分の容姿を鎧にする女。

「これが同一人物って問題だよなぁ」
古着店・時代屋の店長、叶かのう　はレジで腕組みしてひとりごちた。
「まだ高校生だってのにさ」

彼の目線の先にいるバイトが問題の人物だ。久賀林子。どちらかというと薄暗い店内だというのに、ピンスポットが照らすみたいに人目を引く彼女。うねうねとなみうつ栗色の長い髪のせいなのか、誰もがうらやむプロポーションのせいなのか、大きな目とつやのある唇のせいなのかは解けない謎だ。


時代屋で取り扱う品は叶が海外から直接仕入れてくる。勘に任せた店長のセレクトはよく言えば玉石混合、悪く言うと一貫性がない。隠れている掘り出し物を客に見せてやるのが店員たちの仕事だ。

林子は選り分けた数枚のトップスとボトムを前にして首を傾げていた。いまいちぴんとこない様子だ。東京のトレンドなんて知らないが自分のトレンドならわかるという。女らしいワンピに皮のベストは悪くないが丈が気になるらしい。

「店長、もうちょっとスラッと長いのありましたっけ」
「長い？　そっちの箱の方にたぶん」
「こっち？」

示された場所には５、６個の段ボールが積まれているが、そのくらいで怯んでいては仕事にならない。目的のものを探し出して思うとおりにぴたりとはまった時の快感を林子はとうに知っている。アシメトリーなベストをみつけて得々と叶を呼ぶ。

「どうですか」
「……グッド。やっぱり林子ちゃん」
「サンキュ」
親指を立てる叶にガッツポーズでこたえる。

「じゃそれをメインにディスプレイな。似た感じのがほかにもあったはずだ。林子ちゃんも着て」
「了解」

林子が店の戦力になってきたのは最近のことだ。いなくても困らないバイトを雇ってくれたからと口癖のように言う彼女。経理も覚えてお金には誰よりうるさいくせに、ここにいるうちに少しでも恩を返したいなんて時代劇みたいな泣かせることも言ってくれる。


歩道橋の上で初めて出会った時は小学生だった。どんどん成長し始めた自分の身体に嫌悪とコンプレックスしか持たず、眼の下を流れる車の奔流に今にも飛び込みそうに見えた少女。

声をかけてしまったのは幾ばくかの好奇心と危惧と、縁を信じる酔狂さとでも言うのか。疑いながらも人恋しさに負けてついてきた時代屋でたくさんの服に歓声を上げていたっけ。

あれから数年。彼女は心の底から嫌っている己の容姿を逆手に取って生きることを覚えた。年長者でもジレンマに陥りそうな状況に勇ましく立ち向かう姿は、潔くもあり自虐的にも見える。

もうひとつあったか。
自分の容姿を武器にする女。

その奥の孤独な心を誰にも見せない彼女の生き方が今も叶には気がかりだ。選ぶ道を止めることはできない。しがらみから抜け出そうとするのは人間の性さが　だ。だからといっても心配も減らない。

できるなら少ない傷で生き延びてくれと、叶に出来るのは願いながら見守ることだけだった。





お金は重要だといつにもまして林子が思うのは、母に頼まれて貯金通帳から高校の学費を半年分、納入するために銀行へ行くときだ。

定期的に振り込まれる金額。その横の名前はかつての母の夫で、戸籍上の父親。その実、母の浮気で産まれた自分は一銭たりともこの人から得る資格はないと思うと、苦々しさで胸がいっぱいになる。

わかっていても断ることはできない。自分だけの問題ではないから。働いたことのない母親と年金暮らしの祖父母。生きるためにはどれほどのお金が必要か、いやというほど思い知らされてきた林子だ。

早く一人立ちしたい。そのために必要と思われることは全力でやってきた。時間は時にのろく時にいくらあっても足りない。お金のように。受領証代わりのＡＴＭレシートをにらみつける。

「林子じゃねえの」

ぎょっとして顔を上げると、甲斐がいた。斜めがけされたギターケースの竿の部分が背中から飛び出している。彼を思い浮かべるときギターなしではありえまい。
「何。仇かたき　でもにらむみたいな顔」
あまりにも図星で思わず笑ってしまった。

「あたり。仇をにらんでたの」
「誰」
「人じゃないわよ。金」
「金ぇ？」
何言ってんだこいつ、そんな顔されるとつい口がすべる。

「誰だってひとつくらいあるじゃん。甲斐だってあるくせに」
「俺に？　仇？」
「女」
ぎょっとするのは甲斐の方になる。

「でしょ」
「おまえって……やな奴」
「甲斐に嫌われてもあたしはぜんぜん堪えないもん」

涼しい顔で通帳をかばんにしまいこむ間、黙って前に立っていた甲斐がぼそっと言った。

「おまえもさぁ」
「うん？」
「あんまし自分をいじめんなよ」
きょとんとする林子に目を眇め、斜めに切るように見下ろしながら甲斐はつづける。

「俺より肩肘はってそうだよな、林子って」
「そう？」
「そう。おまえの言うとおり俺は女が、特におまえみたいないかにも女、って感じの女が嫌いだけどさ」
「うん」

それは最初に出会ったときからわかっていた。にらむような蔑むような目でみられていたこと。それでも。
「それでも、今はわかってるつもりだぜ。俺の嫌う女の部類に林子が入らないってことぐらいはさ」

うれしかった。甲斐は仲間だ。林子にとっては数少ない、信用できる人間の一人だ。自分がそうだからといって相手にもそれを要求するつもりはないが、こうして認めてもらえるのは、どうでもいい容姿をほめられることよりもはるかに価値があった。

「ありがと」
「だから。無理しすぎんなよ」
「うん。甲斐もね」
にっと笑った林子に同じ笑みが返る。

「だな。じゃあ」
「バイト？」
「と、ライブ」

「うまくいくといいね」
「当たり前じゃん」
どちらからともなくパシッと手をたたきあったふたりは、そこで分かれた。


揺れるギターケースを見送って、林子は少し息がつけた心地だ。求めるものをつかもうと手を伸ばしているのは自分だけじゃない。その事実は慰めにも力にもなる。

「っと遅れる」
携帯をチェックして林子は自転車へと走った。



行き交う車の流れに身を投じたいという誘惑は消えた。自分の容姿は嫌いだが、それを武器にも鎧にもできるようになった。戦えるなら死ぬより生きる方が魅力的だ。生き延びる自信が今はある。


ペダルをこいで通りを疾走する林子を明日へのパワーが包んでいた。





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