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 「 missing-contact」 姫星シリーズ



その夜、彼女は機嫌が悪かった。
理由はひとつ。
クライアントが石頭で、ちっとも仕事が進まない。


「あー嫌っ、なんでああなの? ハリセンでぶっ叩きたいっ」
「荒れてるやん。クライアントに直接、そんな物騒なこと口走ってんとちゃうやろな?」

こじんまりしたバー。
馴染みのマスターがいつもの関西弁で問う。

「みくびらないでよね。社会人何年やってると思ってるの?」
「やっと4年くらいやろ。」
「もう4年!」
「で? ハリセン出したんか?」
「まさか。ニッコリ言ってあげたわ。『納期に間に合わなくても良ければお言葉通りに』って」
「……姫、しまいにクビやで?」
「できるものならやってもらいましょ」

そう言い切るのははったりではない。たぶん彼女が放り出したら誰もこの仕事を満足に終えることは出来ないだろう。クライアントもわかってる。

それでもやっぱりクライアントのほうが強い。仕事とは生憎、そういうものだと彼女も知っている。知っているから愚痴るのはここだけ。


「あぁ、どこかに面白いこと落ちてないかな」
「拾いに行くんか?」
「かっさらって散々遊んで、放り出す」
「拾いたいのは男かいな。できもせんくせに」
見透かされてムッとした彼女は、再びグラスを差し出した。
「おかわり!」


いい加減なところで、姫の方が店から放り出されてしまった。酒には強いが、絡みだしたら手に負えなくなる。光姫と長いつきあいのマスターは知っている。

「まっすぐ帰り。寄り道厳禁やで」
「う〜、冷たい〜」
「優しい男探すんやな」
「落ちてるとこ、教えてよ〜」
「……黙って立っとれ。拾ってもらえるやろ、たぶん」

バタンと閉まる扉。
『本日閉店』と揺れるプレートが物悲しくて未練だ。


仕方なく歩き出す繁華街はいつも明るい。やたら明るい。自分の気分によって、その明るさは楽しかったり空しかったりする。今日はむなしさが勝ちそう。駄目だ、そんなんじゃ。

「よっしゃ!」

かくして、マスターの気遣いと念押しは無駄になる。かけ声をかけた姫は、一段と明るくて賑やかな扉へ吸い込まれて行った。



「あーっ、なんでぇえっ? このおっ!」

ゲームセンターというところは基本的に賑やか、というよりもうるさい。ここは繁華街の真ん中だから夜中でも人は多いし、対戦ゲームに人だかりができるのは珍しくないのだが。

今できている人だかりはUFOキャッチャーだった。その真ん中で悲鳴というか雄叫びを上げている、女がひとり。

見かけはいかにも出来る風。髪をかっちり巻き上げ黒のスーツを着こなした容姿で、目の前のガラスをどんどん叩いてわめく。そりゃあ見物だ。人目をまるで気にせず、無防備に無頓着にしかも無制限に? ある意味、とても潔くコインを投入しては玉砕する彼女に、ギャラリーからは応援の声さえかかっている。

「右、右だって」
「あー、それじゃ手前すぎっ」
「だから、一辺そこを掘り起こさないと」
「うるさーいっ! あ、また」
「だからぁ」
あまりの人だかりに、聞いてくる通行人。

「何? なんかパフォーマンス?」
「いやぁ、あのお姉さん面白くて」
「たまに来るんだよな。月1回くらい?」
「そう、キャッチャーだけガンガンやるのに全然とれねーの。おかしいくらいマジでさ、いっつもギャラリーできる」

「へえ? 結構美人じゃん。」
「だよな、でもこのギャラリーだし。逆に誰も近づけないみたいで。なんか深夜のアイドル?」
「アイドルにしちゃ、ちと大人」
「ククッ、言えてる」

無責任な会話も噂も当人は知りはしない。今はクレーンの手先が全て。
これが最後の勝負。もう軍資金はない。
もうちょっと、あと少し。
右。
奧。
ぐるっと回って……そこっ!

「よしいけっ」

酔っているのかいないのか。固唾を呑んでクレーンを見つめる彼女に、ギャラリーもシンクロして静まりかえる。間違いない、ここがクライマックス?

パカッと広がったクレーンがズンズンと下がる。
グイと掘る。
その手先が目的に触れる。つかむ。
滑る? ひっかかる。

「おちないで」


閉じたクレーンが辛うじて引っかけている頭。
ゆっくりと横滑りしていくそれ。もう一息!
しかし。

無情にもあと5センチで、ブツはクレーンの手先から滑り落ちた。

「あ―――っ!」

叫びともため息ともつかぬ声が幾重も重なって響き渡る。その中央、ガラスの前に崩れ落ちている彼女のあまりの落胆した様子に、ギャラリーまでシンとしてしまった。


「……ね、ねーちゃん。そうガッカリしないで」
「そ、そうだよ。もう1回」
「もうスッカラカン。家に帰れなくなるもん」

うずくまった彼女のどんよりとした答えは酔ってるわりにしっかりしたもので、それがおかしい。誰かがプッと吹くとギロッとにらまれる。

「あー、100円貸したろうか?」
「500円カンパしてやるぜ?」

不思議な雰囲気だった。夜半のゲームセンターにはどこか不似合いな、のほほんとした優しさ。虚脱していた彼女もそれを感じて、立ち直ろう、いや立ちあがろうとしたその視界に、突然サンダル履きとラフな綿パンが入って来た。

あ?
いまだ酔いはあって意識はあまり働かず、彼女はボーッと見ているだけ。


シャリンとコインが投入される。ガラスに向かい合っているだろうサンダル履きは、軽く親指がリズムをとっている。なんだか口笛でも聞こえそうな軽い指先。足の指もこんなに動くものなんだ?
ヒールのパンプスにつっこまれたままの自分の足が、可哀想になるくらいそれは自由で。それだけみつめていたら。

「おおお―――っ」
まだいたギャラリーから、どよめきが上がってビクッとした。
「一発っ」
「お見事!」
なに? 上げる視線をさえぎったのは。

「あ―っ、poohさんっ!」


しかもさっき自分が取り損ねた、そのブツ。何も考えずただ嬉しくて、現れたそれを彼女は抱きしめた。ギュッと。
「やーん、うれしーっ!」
振ってきたのは聞き慣れぬ声。
「クッ。しんじらんない。おねーさん、いくつ?」


見上げると見慣れぬ顔の男だった。随分若そうな。だからって。
「女性に年を聞くもんじゃなーい」
酔っぱらいの一喝にどっと受けるギャラリー。
「そりゃそーだ」
「いーぞ、ねーちゃん」
「負けるな、あんちゃん」
……漫才か?

「なんだよ、せっかく取ってあげたのに」
「あ、もらっていいの? ありがと〜」
ふにゃっと浮かべた笑顔に相手が驚く。御礼を言われるとは思わなかったらしい。
「ほんと、いくつだよ」
顔を隠しながらそっぽむいてつぶやく。

「おいおい、ねーちゃん」
「だいじょぶかぁっ」
振り返ると、poohさんを抱きしめながら彼女が寝ていた。げ。

「ちょっ、おねーさんっ。何やってんのっ?」
「ねむい〜」
「ねむいって、ここはゲーセン。ほら立って」
「えー、眠い」

酔っぱらいはこれだから。
顰め面に舌打ちする男にギャラリーの声援が無責任。

「にいさん、やったな」
「よし押し倒せっ。ホテルはそこだ。なんならここでも」
ちょっとまて。
「ほらほら、場所には事欠かねーし」
「割引券、やろーかぁ?」
ひらひらと振ってくれる人までいる。いや、有り難いけど。

「お気持ちだけもらっときます。ほら、おねーさん、立って!」
「がんばれよーっ」
勘弁して欲しい。脱力して支えきれなくなる。
「まるでびっくり箱だな。楽しいけど意外すぎ」

そんな言葉を彼女はもちろん聞いてなかった。貸してくれる肩のぬくもりと、意外にがっしり支えてくれる腕はわかっても。


「おねーさん、家どこ? タクシー乗ったら言える?」
「まっかせとけ〜」
「ほんとかよ」
大通りで止めたタクシーに乗せながら、どうやら行き先を聞き出して。
「ったく。こんな人だったとはね。起きたらぜーったい忘れられてそうだなぁ。感触だけでも覚えてろって」

優しいつぶやき。唇にほわっとぬくもり。
それから、甘い香り。
無意識に刷り込まれたそれらは、酔いと一緒に朧ろに霞んで。





翌朝。自分の部屋の自分のベッドで光姫は目が覚めた。
当然の事ながら夕べの記憶は、マスターとの会話当たりで切れている。抱きしめていたpoohさんの出所がどうしても思い出せない。
はて?


ぶるんぶるん頭を振ってみたものの。
「あいたっ……ったぁ〜」
結果は二日酔いの頭を抱えるだけだった。

「なんかやったかなぁ。あとでマスターに聞いてみよっと」



記憶の片隅に忘れさられた彼との ”ファースト・コンタクト”
知っているのはpoohさんだけ。





             < missing-contakut / end>


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