16. はちみつ 草太×藍 （ふたりの軌跡） 16. はちみつ 草太×藍 （ふたりの軌跡）
出逢いは可もなく不可もなく。 『クマみたい』 思ったのはそれだけ。 「チーフで今日から入ってもらう。高月草太」 「よろしくお願いします」 頭を下げても自分よりずっと背の高い男。 ごついガタイの圧迫感。 美容師に見えないわよ。森のクマさん？ 藍だけじゃなくみんなが思ったことだろう。 紹介してる店長もたぶん同じ。苦笑しながら言葉を続ける。 「こう見えても経験豊富だ。腕も確か。 でなきゃチーフで引き抜いてこないけどな。 ここにもすぐ慣れるだろ。仲良くやってくれ」 ざわめく従業員仲間にも動じない様子は、 見ようによってはふてぶてしくて。反感買うかも？ ちょっと心配してあげたのに。 「草太さん」 「ほい」 意外だった。あっというまに溶け込んだ彼。 ずっとここにいたみたいに、名前で呼ばれて気軽に応える。 大きな体は意外なくらいすばやく動き回る。 さすがに店長が引き抜いただけあって腕も確か。悔しいくらい。 そっか。悔しいのか。 藍は自分の感情を認識する。 この店でインターンからずっと居る、いわば生え抜き。 腕も悪くないと自負していた。 その自分の上にいきなりチーフとして現れた年下男。 嫌な奴なら冷静に対処したのに。できない奴ならプライド保てたのに。 そんな気持ちに捕らわれていたから。 ばちがあたった。 「ちょっと、違うでしょ」 「・・・っ・・・も、申し訳ありませんっ」 常連のお客様が、いつもと違うスタイルを要望されたのに。 常連だったからこその慣れ。思考はどこかをさまよっていて。 いつもどおりに動かしていたハサミ。眠っていた客。 気づけば明らかにカットラインを間違っていた。 それもかなり切ってしまってる。 「やだ、せっかく」 「ほんとうにすみません！」 どうしよう。こんな失敗これまでなかったのに。 こんな日に限って出張している店長。店内も固まってる。 何も考えられない。 のぼせるだけの頭。おろおろと泳ぐ眼。 どうしたら。 「お客様」 穏やかな声が後ろからかかった。 「ご不快な思いをさせましたことをお詫びします」 高月が深く頭を下げる。 「大変申し訳ありません。ご要望のカットは変更せざるを得ませんが」 藍が唇をかむ。 「志藤が責任を持って、お客様にお似合いのカットをいたします。 任せていただけませんか？ もちろん今日はお代は頂きませんので」 え？ 思わず見上げると、高月と眼があった。 射抜くようにみつめられて動けなくなる。その瞬間が長くて。 でも高月はすぐ視線を客に戻した。 「志藤の腕はお客様が一番ご存じかと思います。 これまでに免じてどうか挽回させてやってください」 かんだ唇をさらにかみしめる。 眼の奥が熱い。でも泣いてる場合じゃない。 「お願いしますっ」 藍も深々と頭を下げた。 灯りはとうに落ちた。今日は藍が鍵当番だ。 誰もいなくなった店でほぅとため息を吐く。 大きな鏡には暗い店内と自分だけ。 「気に入ったわ。返って良かったかも。ありがとう」 そういった常連客は、固持する藍に無理矢理代金を払ってくれた。 ありがたかった。 挽回できたんだろうか。 でも。 プロなら最初から、ちゃんとできたはずのことなのに。 緊張が解けるのといっしょに堪えていたものもほどけた。 鏡の中の自分に気付いて、両手で顔を覆う。 やだ。 認めたくない。こんな情けない自分。 「泣いてるのか」 ぎょっとして顔をあげた。 とっくに帰ったはずの高月がいた。ジーンズとポロシャツ姿。 ガラス戸から通りの逆光を背に浮かぶ影。 夜の森のクマみたい。 「な、泣いてないわよ」 手の甲でぐいと涙をこする。 「嘘つけ」 「泣いてない」 言い合う間にも近づいてくる大きな体に、身構える。 「バレバレだって」 のばされた手が頬を包むのと、親指が涙を拭うのは同時で。 固まったのはその指の感触のなめらかさに驚いたから。 毛むくじゃらなわけもないけど。 こんなごつい体してて、やっぱり美容師なんだ。 なんて今更。 見上げたら視線がぶつかる。 昼間と同じ・・・ううん、違う。 だって段々大きく。近く？ 「ちょ」 見開いた眼と見開いた眼。 重なった唇と唇。 ついばむような優しいキスにただ唖然。 何なのちょっと。 わけわかんないわよって。 いつもなら間違いなくひっぱたいているのに、動けない。 見入るだけの大きな黒目。 あ、長いまつげ。 「・・・やっぱ甘いなぁ、あんた」 「・・・・・・・・・・は？」 目の前でニカっと笑った笑顔が、なんとも邪気のないストレートなもの。 「俺とつきあって」 初めての自分への笑顔で、あっけなくやられてしまったなんて。 あほらしくて、誰にも言ったことはない。 もう、ずっと昔だけど。 「ねぇ」 「あぁ？」 「いつから思ってたの？」 「何を」 「あたしとつきあおうって」 「・・・・さてね」 「いいじゃない、もう時効でしょ」 「最初から」 「へ？」 「店で挨拶したじゃん。顔見た時から」 「・・・なんで？」 「おいしそうだった。おまえ」 ばしっと殴りながら藍の顔は赤い。今更。 ・・・・・・やっぱりクマだわ、こいつ。 森のクマさんに、美味しそうと最初から狙われていたなんて。 差詰めあたしは、甘いハチミツ？ まぁね。 幸せだからいいけどさ。 「草太ーっ、起きて」 「うー・・ん。今日も張り切っていくかぁ」 「・・・って、こら！ どこ触ってんのよっ、朝っぱらから！」 いつまでもハチミツなふたりの関係ー。 ＜ 16 / end ＞ |
★あとがき★
「軌跡」はこうしてみると、ラブラブなカップルばかりだ（笑）
この二人も万年春です。ほんとにどうしようもない。
日頃羽矢先生に苦労させられてるので、勘弁してやってください(^^;)
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