初孫が産まれた、身の引き締まるような冬の朝。
　鋼は寺にいた。
　日高家代々の墓の前だ。

　東京の冬は西高東低、晴れる朝ほど冷え込むけれど、鋼は嫌いではなかった。その分、春が楽しみになる。

　けれど今朝は、一足先に春の気分だ。
　供えたばかりの水仙、明るい黄色に心が躍る。

　「千代、産まれたぜ。銀の娘だ。俺たちの初孫だ」

　そう言いながら墓前に置いた守り袋は、ついさっきまで初音が握りしめていたものだ。くしゃくしゃ具合も、御利益の証しと思えば尊い。

　「ありがとよ。おめえもはーちゃんを助けてくれたんだろ」

　線香の煙がたなびく空を見上げ、しゃがんで手を合わせる。墓石が話し相手なのは味気ないが、最初に来るのはやっぱりここしかなかった。

　「見たよな？　葵みてえにちっちゃい赤ん坊のくせして、葵みてえに元気な声で泣きやがった。ありゃあ別嬪になる、間違えねえ。だろ？」

　返事はない。でもきっと千代は笑っている。いや文句を言っているかもしれない。

　『お産の間中ついてたのかい？　女房ん時は一人目も二人目も、ほったらかしだったくせに、息子の嫁さんにはずいぶん優しいことだ』

　これはキヌだ。初めてのひ孫誕生を知らせてやったというのに、この言われよう。

　「しょうがねえだろ、銀のやつ、夕べに限っていやしねえ。それどころか鉄までつかまらなくてよ。病院に運んで、はい、おさらばってわけにゃいかねえさ」

　墓に向って言い訳したら、声が聞こえた。
　『私なんて三人目でようやくお守り袋をもらえたっていうのに』

　「守り袋の方がなんぼかマシだって。男が居たって役にたたねえ。つくづく悟ったぜ。二度とごめんだ」
　『鉄が産まれる時はずいぶん心配させたわね』
　「おめえは三人も丈夫な子を産んでくれた。心配なんざしなかったさ」

　昔のことだ。
　鉄を妊ったあたりから体調を崩しがちになった千代。その前から、三人目はやめておけと落合は言っていたらしいが、千代は何も言わなかった。鋼は知らなかった。

　日頃は従順を絵に描いたような女房だったが、芯の強さやここぞという時の頑固さは、鋼も手に負えなかった。そういうところに寄りかかって安心していたのかもしれない。

　それでも、鉄のお産は気がかりだった。前の二人の時とは目に見えて千代の様子が違っていたから。苦しいときのなんとやら、このお守りは三人目にして初めて、鋼が千代のためにもらってきたものだ。すぐに駆けつけられるとは限らない自分の代わりに、と。

　その御利益かどうか、鉄は元気に産まれた。
　千代も無事だった、そのときは。

　『妊婦は労れっつってんだよ！』
　半年前、銀が怒鳴った言葉を思い出す。

　自分は古い人間だ。勝手なことや理不尽なことをたくさんした。銀はもっと母親を大事にしてほしかったのだろうか。鉄を産んだあと、千代がすっかり弱ってしまったのは確かだったし。

　だが時は戻せない。戻してもたぶん同じことをする。救いは、千代が鋼をわかっていてくれたこと、それを鋼も知っていたことだ。

　「そうだろ？　こういう俺におめえは惚れたんだものな」

　ひゅっと風が頬を叩いて、水仙が揺れた。
　しょってる、と笑われたのか。もう声は聞こえない。

　「孫が産まれちまった。まだまだそっちには行けねえな。守ってやってくれよ、あいつらを」

　もう一度手を合わせ、守り袋を懐にしまって鋼は立ち上がる。その途端、場に不似合いな電子音が流れ出した。

　相手をたしかめた鋼はくしゃっと笑った。嬉しいような困ったような。ちらっと水仙を見返って肩をすくめ、いたずら小僧のようにそそくさと離れながら、通話ボタンを押した。

　「俺だ」
　『俺だじゃないでしょうが、この唐変木！』

　だんだん口調が江戸風味になってきて吹き出しそうになる。ばちばちと電波をふるわせる威勢の良さが、小町の魅力だ。

　『なんでとっとと知らせないのよっ、娘のお産にのりおくれちゃったじゃないの』
　「はーちゃんの希望だぜ？」
　『そこを知らせてくるのが親ってもんでしょうが！』
　うるさすぎるから、とは言うまい。

　「あんた今どこにいるんだ？」
　『病院に決まってるわよっ』
　「……落ち着いて周りを見ろよ。看護師さんに怒られっぞ」
　『誰のせいだと思ってんの！　とっとと来なさい！』

　寺を出た鋼は車に乗り込んだ。シャワーを浴びる時間はあるだろう。それと飯だ。

　「おりゃあこれから仕事だ。切るぞ」
　『仕事ぉ？　徹夜だったんじゃないの？』
　「一晩二晩の徹夜なんぞへでもねえ。でもまぁ今日は上んねえよ。監督してらあ。はーちゃんに、夜また行くって言っといてくれ。じゃあな」
　『待って待って、待って』

　一段とボリュームが上がった。徹夜の頭にはきつい音量に眉をよせると、声が急に萎んだ。
　『初音がね、あなたが居てくれてすごく安心したって……ありがと』

　鋼は口をよじらせた。照れた顔を見られなくて助かったと思う。

　「あたりめえだろ、家族なんだから。じゃあな」
　『ちょっ』

　助手席に携帯を放ってシートベルトを締める。お守り袋を懐から出して、ふっと笑った。葵にも貸してやるか。そうだ、お七夜の準備に饅頭屋にも寄らねえと。

　エンジンをかける鋼の口元は、楽しげな笑みで緩んでいた。





　　　　　　　　　　　　　　　＜　kou-no-houkoku　／　end　＞