女性は謎。
恋はパズルだ。


結納は夜十時にお開きになった。
すべて、乙女の手腕による。

「今日中に帰るんだから、ひかり！　寝たら承知しないからね！」
「昨日は今日に、今日は明日につながっとるんや、かまへんて」
「かまうわよあんぽんたん！　結納の日に婿さん一家がこぞって酔いつぶれて泊まったりしたら、源家末代までの恥よ！」

小町ならともかく末っ子に言われるとは、長男の威厳などあったもんじゃない。そんなの最初からなかったか。

「全くね」
「異議なし」

元々女性上位の家。三姉妹が同意したら決定事項だ。抵抗むなしく、とっくに眠りこけた小町をみんなで抱えて、タクシーで帰途についた。

光は欲求不満だった。結納という大事な一日で、葵と過ごせたのは墓参りしたわずかな時間だけ。触れられたのは強引に奪ったキスだけときている。

おまけにあのあと、鋼はもちろん「葵ちゃんは娘も同然」連中につかまり、ひどい目にあった。一升瓶を抱え順番に茶碗を差し出されて「呑め」のエンドレス。

呑んで死ぬのと呑まないで殺されるのと、どっちがマシかと思いながら結局呑んだ。なんとか生き延びた、と思ったのは夕べの話。

今朝になってわかった事実。
どっちにしても死んどるやん。


口の中はザラザラに乾いて気持ち悪いし、頭の真ん中に大きな鐘がぶらさがっている。起きあがろうとするとゴンゴンガンガン頭ごと叩かれるみたいだ。

昨夜はスーツを脱ぎ捨ててベッドに倒れ込んだので、身体から酒が臭って二日酔いに拍車をかけている。

あかん。
シャワー浴びんと吐きそうや。

頭の芯でぐらぐらする鐘をなんとか鳴らさないように、おそるおそる体を起こそうとした。


「光ってば！　返事ぐらいしなさいよ！」

戸が開いた衝撃でぐわんと鐘が鳴って、再びベッドに突っ伏す。
ぐわんぐわんぐわんぐわん。
この世の地獄だ。


「やだこの部屋酒臭いっ！」
「……わかっとるて。堪忍してえな」
「電話よ」
「家電にかけてくるんはセールスに決まっとる。とっとと切らんかい」
「切ったけど」
「やったらなんも、っっいたたたた」

怒鳴ってまた突っ伏した兄に、乙女のあきれた声が聞く。

「だから飲み過ぎるなって言ったのに」
「しゃあないやん、あそこで呑まんかったら婚約解消やで」
「オーバーな」
「自分の結納んとき、覚悟せえよ」

上目遣いでにらんだら、乙女が顔を赤くしながらにらみ返してきた。今朝に限ってはかわいいと思う余裕もない。


「とにかく、葵さんがもうじき来るってよ」
「…………はあ？」

当惑した頭が「あおい」をキーワードにして、二日酔いの向こうに埋もれきっていた情報をダダダーっと検索し取り出した。

あかん。
ドライブ行こうて約束しとったやん。
懲りもせずがばっと起きて、強烈な頭痛にまたうずくまる。

「っいたたたた、そんならそうとさっさと言うてえな」
「言ってるじゃない」
ベッドの上でじたばたして、自分の声でまた鐘を突いて頭を抱える光に、乙女もいいかげんあきれている。

「葵もなんで携帯にかけてこんのや」
「鳴らしても鳴らしても出ないからって」

うろんな目で携帯を探す。たぶんあそこだ。脱ぎ捨てて積み重ねたスーツの残骸。バイブにしてたから音も消されてしまったに違いない。

「あと２０分くらいよ」
「なんやてっ？　たたた」
「そんなんじゃ出かけらんないじゃん」
「行く」
「二日酔いでぐだぐだガンガンで？」
「乙女このっ、いたたたー」
「急いだ方がいいよー」

妹はさっさと降りていってしまった。
シャワーや。
なんとかしてそこまで行き着かんと。


ベッドから転げるように降りた光は、文字通り這うようにして浴室を目指した。約束のドライブは行けるかどうか、情けないことに自信はいまひとつもてなかった。





「彼女とドライブ」と聞けばイメージするのは大抵、ハンドルを握る自分と助手席の彼女だろう。ハンドルを握る彼女を助手席から眺める自分なんてまったく想定外だ。おまけに。

「葵？　あっ、おい、おいって」
「なにー？」
「出しすぎ、飛ばしすぎ、あかん」
「えー？　そんなことないわよー」

葵がスピード好きなんて知らなかった。それを言うなら免許を持ってるのも初耳だ。彼女も昨日はそれなりに飲んでたはずなのに、すっきりしゃっきりさわやかレモンみたいな顔でアクセル全開なんて。

女性は謎、解けることのない永遠のパズルだ、などと気取ってもいられない。光は膝の間で両手をもみしぼって、嘆願中だ。

神さんでも仏さんでもキリストさんでもとにかく頼んます。愛しい彼女のお導きでも結納したばっかりで死ぬんはいやや、っちゅうか死んでも死に切れん。もしかしてこないだ首締めてもうた仕返しやろか。勘弁してぇなほんま。

「あかんー、頼むわほんまぁあああーおーいー」
「光って案外気が小さいー」
「ちゃうちゃう、ぜぇえーったい、ちゃうぅううう」

二日酔いでハンドルを握らせてもらえなかったのは自業自得だが、「私が運転する」と言われれば、素直にうなずくのが当たり前、それが運の尽きとは思わない。

葵やったら安全確実正確無比な運転と思うやんか。
まさかの神風特攻隊やなんて、あぁああーっ。
あかん。

あきらめた光は目を閉じた。ブレーキが踏めないなら祈るしかない。気を紛らわすために口だけは動かしておく。


「なあ、免許いつとってん」
「前の会社やめてすぐ」
「その割に運転しとらんのとちゃう？」
「させてくれないのよ。銀も鉄も滅多に車も貸してくれなくて」

せやろなわかる、ようわかるわ。

「今日は貸してくれたんか」
「光が運転するならって」
「……しとらんで」
「飲酒運転させられないでしょ」

事故るんとどっちがマシ、いや事故るんもあかん。
まだ着かんのやろか。交通安全の神さんは誰やったろか。
誰でもええから頼むわ頼んますぅううー。


目的の海岸まで、鐘ではなく自分の絶叫で頭が割れそうだった。無事たどりついてどっと汗が出る。人の気も知らず、駐車スペースにするりと車を停めた葵が眼を輝かせる。

「海よ、海。きれいー！」

テトラポットの向こうに広がる海は、確かに綺麗だ。時に穏やかに時に吹き荒れ、陽の昼も月の夜もそこにある。今の光には女性と同じに思えた。謎で不思議だ。

「先行くね」
飛び出していく彼女の後ろ姿を見送りながら、笑みがこぼれた。

最高の秘書で頭が良くて優しくて強くて、ハンドル握るとカミカゼか。
またひとつ知った彼女のピース。
どれひとつ無くさないで守っていくのがこれからの、俺の役目。


二日酔いしとる場合とちゃうわ。
おかげで酒もすっかり抜けたし。　あぁあないに手ぇ振って。
葵が呼んどる。
行こか。


車を降りた光は、葵の後を追った。
海は謎を秘め、水平線の遠くまで煌きら　めいていた。





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜　Love is puzzle.　／　end　＞