前略

初めまして、咲子の母です。この手紙は咲子から聞き出した住所に送ります。無事に届けばいいですが。あの子に気づかれぬよう裏書きは省略しますので最初はご不審に思われると思います。

咲子がお世話になっております上に、このたびは過分なお見舞いまで頂戴して申し訳ありません。咲子には内緒とのことだったので伝えませんでしたが、よかったのでしょうか。

娘と数年ぶりに会ってずいぶん変わったと驚きました。見た目ではなく雰囲気です。ハリネズミのようにつんつん尖っていた子がなんて柔らかくなったのだろうと。世間から、そして私から自分を守るために研ぎすませていた針は、なくなったわけではないにしろ不必要に威嚇しなくなって、何よりもきれいになりました。本人は気づいてないでしょう。もちろんありがたくうれしいことですが、母親としては複雑です。何もしてやれなかったと思い知らされるようで。

あの子には父親のことを一度も話しておりません。ご存じかどうか、私はずっと水商売をしてきました。父親は店に通ってきた客でした。うぶな年でもないのにのめりこみましたが、わかってみれば妻子持ちの浮気で、身ごもったと知ったのは別れてからです。連絡は一度もとっていません。咲子は私だけの子です。産んだことを後悔したことはありませんが、理想の母親とはかけ離れていたのもわかっています。

あの子はあなたのことを「初めて本気で好きになった人」と言いました。事件のことは話しているのでしょうか。当初私は、あの子がとうとう家出したのだと思っていました。帰ってこないあの子に腹をたてながら心配し、連絡をよこさないことにまた腹を立てる繰り返しで。ようやくこれはおかしい、もしかしたら何か妙な事に巻き込まれたのかもしれないと警察に捜索願いを出した日の午後でした、ぼろぼろになった咲子が戻ってきたのは。安心のあまり悪態をついた母親にむしゃぶりついてきた姿は忘れられません。情けなかった。自分を殴り倒したかった。あの日私は母親の資格を失ったのだと思います。なんとか高校を卒業した咲子が家を出たのも当たり前でした。

もしかしたら二度と会えないかもしれないと思っていました。思いがけず病気になっても連絡をためらったのに、送ったメールにすぐ電話がかかってきて驚きました。あの子は大人になっていた。思いやる気持ちを隠さなくなり、こちらの反応に脅えなくなった。上京した時の咲子なら帰郷してくれたかどうかわかりません。戻ると言ってくれて私がどれほどうれしかったか、あの子は知りますまい。

このふた月、あの子と過ごせた時間は夢のようでした。すでに自立しかけている娘がほんとうの意味で離れる前の、福袋みたいな時間。そんな資格もない母親だというのに。

私もいい年ですので、末永くとか永遠にとかそんな言葉は使えません。人の心に絶対はない、移ろうことを誰も止められないとも知っています。それでも最後に人は人にしか頼れません。

ですから、お願いします。しばらくの間だけでもしっかり受け止めてやってください。そうすれば何かあってもきっと一人で歩いていける。子育てと同じですね。失敗した母親だからこそのお願いです。

大事なことを忘れていました。御礼を。心からの御礼を。あの子を愛してくださってありがとう。咲子と名付けたくせに咲くことを教えてやれなかった親に代わって、きれいに咲かせてくださったのは、あなたです。

おかげさまで術後は良好です。少し風邪気味ですが、季節の変わり目にはよくあることなので気にしていません。もう少し秋が深まったら季節の果物でもお送りしますので、そのときはお納めくださいませ。

長々と書き連ねてしまいました。母の繰り言とお許しください。咲子には内緒にしてくださいね。この度はほんとうにありがとうございました。

　　　九月下旬　　　　　　　　　　　　　芦川花枝

鼓堂様

追伸　　咲子をくれぐれもよろしくお願い致します。


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ショーコの母の字は読みやすいけれど、か細かった。そこに死の影があるようで今となってはもの悲しい。


年明け、百箇日も兼ねてショーコの母親の墓参りにふたりで行った、そこでトモミに会った。葬式で見たのを覚えている。元々ショーコの母の店のスタッフで、入院中もその後もずっと母親とショーコを支えてくれたのも聞いていた。結局店も継いだ彼女は、母が死んだショーコにとっては故郷との最後のよすがのようなものか。

墓前でまちあわせをしたトモミはキングの姿に眼を見張った。
「鼓堂です」
名乗ったらどこか得心したような顔が不思議だった。


墓参りのあと、せっかくだからとファミレスで昼食を一緒にすることになり、店のほかの女の子たちも呼び出した。久しぶりのショーコは彼女たちのボックス席で夢中でしゃべっている。それを見計らったようにトモミがキングへ差し出したのが手紙だった。表書きにはマンションの住所と「鼓堂さま」とある。裏書きはない。広げて見て文末の名前に思わずトモミを見返す。

「お店に残ってたんです。出すつもりだったと思うんですけど、あんなことになってしまって」

改めて読み返しなんともいえない気持ちになる。トモミもよく似た表情に見えた。

「ごめんなさい、封が開いていたので私も読みました。でも投函していいのかわからなくて、ショーコちゃんにも渡せずそのままにしてたんです。ママが死んだあと、ショーコちゃんはあなたの話を全然しなかったし」

そのころを思いだせば無理もないことだ。

「でも、お墓参りにくるって連絡くれたとき、彼氏も一緒ってうれしそうに漏らしたから。もしかしたらって、もし鼓堂さんならお渡ししようって、持ってきたんです。良かった。肩の荷が下りました」
「……お世話をかけました」
頭を下げるキングにトモミはあわてて首をふった。

「でも、あの」
「なんでしょう」
「お渡しして、良かったんですよね？」
まだ不安を残した表情にキングは笑みを浮かべてうなずいた。
「ありがとう」
ようやく安堵の顔になったトモミは居住まいを正してキングをみた。

「手紙の中味については決して誰にも、ショーコちゃんにも言いません。でも、お門違いなのはわかってるんですけど、ママの代わりと思ってください。ショーコちゃんのこと、どうぞお願いします」

頭を下げられて困ったのはキングの方だった。
「ショーコは大丈夫ですよ」
気持ちには感謝しても、ほかに言えることはなかった。





帰る車中、助手席でショーコは眠ってしまった。ハンドルを握りながらキングは手紙を脳裏で思い返す。


誰かに託さずにはいられないのが母親なら、子どもをいつまでも子どもと思うのも母親だ。ショーコはもうひとりで立っている。彼岸でそれを知って苦笑いしているかもしれない。

だからって子を思う心が無駄な訳じゃない。母親の思いはトモミが受け継いでショーコを気遣っている。それもまた親のありがたさだろう。手紙も然りだ。

頼まれ託されるほど大した男じゃない。任せてくださいなんて言葉は吐けない。ただ、一緒にいようと思う。別れるならその日まで、彼女がどこかへ旅立つなら見送る日まで。もしかしたら？

「母さん」

つぶやいたショーコがシートベルトに顔をすりつけるようにして微笑んでいる。いい夢ならいい。内ポケットの手紙はショーコに見せることはきっとない。親の心子知らず、それでいい気がする。知らないからこそ思い出しては深く考えるのが人だから。思い出すことは供養にもなる。


早く、家に帰ろう。
ジンがきっと待ちくたびれて怒っている。


スピードをあげたキングの車は家路を指してひた走る。夜空では星が、遙か彼岸からの手紙のように、やっと届いた光を瞬かせていた。





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