戻ってきたキングがショーコを連れてブーケに行ったのは、クリスマスの翌々日夜だった。

顔を出したとたんに店の空気が停止する。いつものようにヒデミとおしゃべりしていたエヴァはキングを見るなり、カウンターから飛び出してむしゃぶりついてきた。勢いで思わず後ずさってしまう。

「遅い遅い遅いぃいいいーっ、待ちくたびれたわよぉおおおーっ」
「心配かけたな、エヴァ。ヒデも」
「キング、おかえり」
「もうもうもうぉおおおー」

元を正せば男の腕力でどんどんとキングの胸を叩いてわめくエヴァを、後ろからつかんでひきはがしてくれたのはアダムだ。

「もういいだろエヴァ、帰ってきたんだから」
「アダムぅう離しなさいってばああ」
「やだね。ほかの男とのラブシーンなんぞ見てられるか」

「あんたこれがぁラブシーンにぃ見えるわけぇええ？」
「見える」
断言されて呆れ顔でそのくせどこかうれしげなエヴァの表情。向こうで苦笑したヒデミが言い添える。

「ショーコも困ってるわよ」
やっとショーコに気づいて口をとがらせるエヴァ。ショーコがおそるおそる頭を下げた。

「あらあいたのショーコぉお」
「う、ん」
「なによ借りてきた猫みたいにそんなとこでぇえ……？」

ふんと鼻を鳴らしたエヴァだがハッとした様子でショーコに見入った。何かついているのかとショーコは自分の顔をぺたぺた指で確かめている。

何もついちゃいない。
エヴァの形相が変わっていく理由は、おそらく。

「ちょおっとぉお嘘ぉお、キッキングぅううう？」

その眼力に舌を巻きそうだ。
胸ぐらをつかむエヴァの剣幕にヒデミが仰天している。

「エヴァ？」
「おい、エヴァって」

苦虫を噛みつぶしたようなアダムの声にもおかまいなしだ。バッチバチのまつげと太いアイラインに縁取られた眼が、サングラス越しにキングの真意を確かめようとする。

参るな。

ふっと口の端で笑ったキングは、大きな手のひらをエヴァの盛りに盛った髪のてっぺんにぽんとのせた。

「そういうことだ」

一言で伝えあえるほどつきあいは長く、深い。エヴァの眼がめいっぱい大きくなった。よぎったのはエヴァがまず見せない色だった気がする。急流に落ちた紅葉のような一瞬の感情、その中身は推し量るまい。

くっと唇を噛むと吹っ切るようにキングから離れていく彼女。ぶつぶつ独り言が途切れ途切れに聞こえた。
「ったく…子様に本…になる…んて…っじらんな……っ」

ほんとに参るな。大抵のことは受け流せる自分をこうも気恥ずかしくさせるのは彼女くらいだ。

カウンターへ戻るやエヴァはアダムに叫んだ。

「お酒よお酒ぇえ、キングの生還を祝いましょぉお、みんなおごるわよぉおお」
「エヴァ、生還ってなに」
「お黙りヒデぇ、ぐちゃぐちゃ言ったらはったおすわよぉおお」
「おおこわ」
肩をすくめるヒデミ。周りは飲めるなら文句はない。

「ただ酒ならなんだっていいやね」
「そうそう」
「エヴァさまさま、女神さまー」
「そのエヴァにおごらせる王様にかんぱーい！」
「かんぱいっ」

アダムやスタッフが配るグラスを奪い合った客たちが、割れんばかりの勢いでかっちゃんかっちゃん鳴らす。エヴァに渡された純度の高いスピリッツのグラスを掲げてキングはこたえた。

ここも帰る場所だったのか。
知らない間に作っている自分がおかしい。


ひとめぐりしてカウンターへ戻ったらショーコがぼうっとしていた。握りしめているのはエヴァが用意したのだろう、彼女にしては強めのカクテル。ラムとレモンの香り。

「色っぽいの持ってるじゃないか」
「色っぽいって」
「ビトウィーン・ザ・シーツ」

「……は？」
「カクテルの名前さ」
「ビトウィーンって…」

意味を理解するにつれてショーコの顔は赤くなったり青くなったり、カクテルグラスを落としそうだ。エヴァには全部お見通しだとショーコにも言っとけば良かったか。

ストレス解消とか言ってショーコはこれからも散々いじられるんだろうけれど、他の連中からはきっと爪をたてて守ってくれるに違いない。ヒデミ然り宝円然り。

エヴァやヒデミ、宝円にアダム。どれだけ彼らを信用しているかを今更に自覚する。その上でまさかショーコに落ちるとは。エヴァのぼやきもわかるというものだ。

ずっと？
いつまで？

若くもない年になれば永遠などたやすく信じはしないけれど、ジンしか踏み込ませなかった心の内に間違いなく彼女が咲いているのだから。

「何？」
「いや」

赤い顔で尖らせた唇を一瞬盗む。
めざとく斜め横から悲鳴が入った。

「きゃああああっ、ショーコっ、このぉおおお」
「エヴァ、落ち着け」
「刃物はだめって言ったでしょ、キングったらもう」

この喧噪もなけりゃ物足りないんだから人生はおもしろい。さっきの仕返しではないが、ショーコの肩を抱いてエヴァにウィンクしてみせる。

「もうっもうっ、このぉおおおお」
「キングやめなさいってーーっ」
「エヴァもやめろよ」
「キングったらーっ、あたしが殺されちゃうってばーーーっ」


クリスマスも終われば年の瀬だというのに絶叫逆巻くブーケ。
要するにいつもどおり？

ひとり上機嫌のキングを中心に、にぎやかな渦はいつになっても消える気配はなかった。





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